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貿易 ボウエキ

6件 の用語解説(貿易の意味・用語解説を検索)

デジタル大辞泉の解説

ぼう‐えき【貿易】

[名](スル)
国際間の商品の取引。輸出輸入の総称。
互いに財貨を交換して取引を行うこと。交易。

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百科事典マイペディアの解説

貿易【ぼうえき】

国際間の財貨の取引をいい,輸出と輸入からなる。外国貿易により一国は市場の拡大,国際分業による生産の集中,国内資源の不足の克服等の利益を得られる。資本主義の下では資本主義発展の不均等性,生産の無制限拡大傾向等が貿易を必然化する。
→関連項目管理貿易

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世界大百科事典 第2版の解説

ぼうえき【貿易 international trade】

一般に国と国との間の商業取引をいう。ふつう商品の輸出および輸入からなるが,最近は運輸・旅客サービスだけでなく,電気通信サービス,金融・保険サービスや技術・情報サービス等も国境を越えて取引されるようになり,こうしたサービス貿易が注目されてきている。 もっとも国の概念が成立する前から,中国や地中海の文明圏を中心に,各地域の特産品を交換し合う交易は始まっていた。古代から中世へと文明圏が拡大し,交通手段が発達するのにともなって,貿易の範囲は広まったが,取引されたのは主として,金銀,絹,毛皮,装身具,香料等の高価な嗜好品であった。

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大辞林 第三版の解説

ぼうえき【貿易】

( 名 ) スル
外国と商品の売買をすること。国際間の商業取引。交易。

出典|三省堂
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

貿易
ぼうえき

国際貿易」のページをご覧ください。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

貿易
ぼうえき
foreign trade

一国の企業や個人が外国の企業や個人と行う商品の取引が貿易である。貿易を通じて、国内で生産された財貨は外国にも販売(輸出)され、外国から財貨が購入(輸入)されて国内で消費されるという国際分業が形成される。[志田 明]

貿易が行われる根拠

貿易は、基本的には各国の間で財の相対的な価格や生産費に差がある場合に行われる。国内の企業から買うよりも外国の企業から買うほうが、運賃や保険料などの経費を負担しても安くつくから、商品は輸入されるのである。貿易が行われる根拠を国際間の相対的な生産費の差異という面から明らかにした理論が、比較生産費の理論あるいは比較優位の理論である。国によって比較生産費差(比較優位差)が出てくる背景には、各国で気候条件や地下資源などの自然条件が違い、それぞれの国に適した生産物があること、経済発展段階や社会の状況が異なり、資本蓄積の程度や労働の質に差異があること、国際間で技術水準が異なること、などの要因がある。
 それぞれの国が有利に(安く)生産できる産業に専門化(特化)し、その生産物を交換しあうことを通じて、与えられた一定の資源のもとでいずれの国もより多くの生産物を入手することができるという分業の利益(貿易の利益)が生み出され、国際的なレベルで資源の効率的な利用(資源の適正配分)が可能になる。貿易は、各国の資源の自然的な配剤に偏りがあるという面を補う役割を果たすのである。そこから、国際貿易はできる限り自由に行われるのが望ましいとする自由貿易論の考え方が出てくる。[志田 明]

貿易と経済発展

外国貿易はまた、生産物の販路を拡張し、企業や産業の生産規模の拡大による規模の経済(大規模生産の利益)を実現し、経済を発展させる要因となる。技術の高度化に伴って生産の最適規模が大きくなるにつれ、一国内の市場だけでは狭隘(きょうあい)にすぎて規模の経済を享受できないような場合に、貿易が市場の拡張によって生産性を高めることを可能にするのである。第二次世界大戦後のEC(ヨーロッパ共同体)形成の一つのねらいは大市場化による規模の経済の実現にあり、域内の経済や貿易の発展はそのような規模の経済に負うところが大きい。しかし、貿易が市場の拡張を通じて一国の産業を発展させるという効果は、最初に国際市場に進出した国の産業の生産性を高め、それがいっそう輸出を増大させるという形で累積的な産業の発展を促すが、他方、発展の後れた後続国の産業に対しては、先発国の産業との間の国際競争のもとで発展を推進しなければならないというハンディを負わせ、自由貿易がその国の産業の発展を阻害するであろう。そこで、後続国でその産業を発展させるためには、ある期間その産業の保護が必要となる。比較優位差が生じる根拠がこのような規模の経済や技術格差である場合には、日本のかつての繊維産業や戦後の自動車産業にみられるように、後続国の産業が保護によって発展に成功し、比較優位産業に転化することもあるが、一方ではある種の開発途上国にみられるように、先進国との間の貿易がいっそう後続国の経済発展を抑圧するという逆流効果を生むこともある。[志田 明]

貿易と国民経済

一国の輸出や輸入の規模は、国民所得水準、外国為替(かわせ)相場、交通手段の発達などに依存する。国民所得の循環では、輸出は、一国の国民所得の流れへの外からの需要の注入として、国内生産や国民所得を増加させる乗数効果をもち、逆に輸入は、国内で生み出された所得が外国の財に対する需要として漏出することを意味するから、国内の生産を減少させる負の乗数効果をもつ。したがって、国内で失業や不況に悩まされている国は、輸出を促進し輸入を削減するような政策をとれば、それらを緩和することができる。しかし、一国の輸出は相手国の輸入であるから、貿易が一国の国民所得に及ぼすこのような効果は、相手国にとっては逆の効果となり、そのため交易国相互の間で利害が対立する。なお、貿易は当事国に生産の特化や規模の経済による貿易の利益をもたらす反面、国際分業の相互依存関係によって経済循環が国内だけで完結せず、国民経済を世界経済の網の目のなかに組み込むことになる。それゆえ、国民経済はそれだけ国外の経済変動の影響を受けやすくなり、不安定性や不確実性が強まり、貿易が中断したときの危険が大きくなるであろう。貿易が国民経済に及ぼすこのようなさまざまな効果やその国が置かれている状況が絡み合って、それぞれの国の貿易のあり方や各国が採用する貿易政策の違いが生じてくるのである。[志田 明]

資本主義成立期以前の貿易

貿易の歴史は古く、すでに紀元前にフェニキア人はエジプトや東地中海で貿易を行っていたことが知られているし、その後ギリシア時代やローマ時代には、地中海沿岸に加えてさらに東方との交易も盛んになった。シルク・ロードを経て中国との間で貿易が行われたことは有名である。しかし、この時代の交易品は、奴隷、貴金属、宝石、高級織物など当時の上層階級のぜいたく品が大部分で、貿易は商品生産に深く根を下ろすような種類のものではなかった。
 ローマ帝国崩壊後の中世の封建社会では、貿易は一時衰退し、その後コンスタンティノープルを中心にアラビア人などが貿易で活躍するようになったが、貿易が盛んになったのは十字軍の遠征以降である。十字軍遠征を契機にベネチアなどイタリア北部の都市が貿易によって繁栄し、地中海で支配権を確立した。一方、ヨーロッパ北部でも、ハンザ同盟の諸都市を中心に貿易が栄えた。中世の交易の地域は古代よりも拡大し、貿易品の種類も増えて香辛料など大衆化した商品もみられるようになったが、基本的にはまだ上層階級のぜいたく品が主であった。
 15世紀末の地理上の発見とそれに続く商業革命は、貿易を大きく変えた。貿易の舞台は地中海やバルト海からアメリカ大陸やアジアにまで広げられ、地理上の発見で大役を果たしたポルトガルとスペインが新市場に躍進した。ポルトガルは東方から香辛料、スペインは新大陸から金銀やタバコなどを輸入し、毛織物を輸出した。毛織物の輸出によってヨーロッパで毛織物工業が盛んになったが、その中心はその後オランダやイギリスに移り、とくにイギリスで輸出産業として高度の発展を遂げた。それに伴ってポルトガルやスペインの貿易は衰退し、貿易の中心はオランダからさらにイギリスへと移っていった。このような貿易の拡大が、資本主義的な工業生産の発展に大きな影響を与えた。[志田 明]

資本主義成立期以後の貿易

18世紀から19世紀にかけてまずイギリスに始まった産業革命は、貿易にも変革を引き起こした。産業革命により綿工業が機械化され、綿織物が低廉に大量生産されるようになって、一般大衆の生活資料として広く普及し、手工業的な毛織物にかわって綿織物がイギリスの輸出貿易で大きな地位を占めるようになったのである。イギリスの輸出の増加は目覚ましく、19世紀中葉には全世界の輸出の4分の1から3分の1のシェアにまで伸張した。イギリスの輸出品は完成品が多く、とりわけその3分の2は綿織物などの繊維製品や鉄製品であり、一方、輸入品は主として綿花などの原料や食糧であった。加工貿易という近代的な貿易へ移行し、イギリスを「世界の工場」、その他の世界を原料や食糧の供給地とする国際分業体制が確立されたのである。それに続く30年間は、このような貿易が急速に拡張された時期である。鉄道や汽船の発達により、貨物は安く、しかも迅速に輸送されるようになり、綿花、石炭、鉱石など、比較的重量の大きい貨物も遠隔地間で取引されるようになって、貿易の拡大に拍車がかけられた。さらに、19世紀中ごろのイギリスの穀物法(穀物の輸出入に一定の制限を加えた法律)の撤廃を契機として、イギリスを中心に自由貿易の気運が高まり、それも貿易の拡張に貢献した。しかし、イギリスを主軸に自由貿易が発展したこの時期にも、当時の後進国ドイツなどでは国内の幼稚産業の育成のために保護貿易が行われていたことに注意しなければならない。
 世界貿易の発展に寄与したもう一つの要因は、国際金本位制の確立である。いち早く金本位制を樹立したイギリスに次いで、19世紀後半には大多数の国々が金本位制に移行した。国際金本位制は、各国の通貨の間の交換性と交換比率を安定的に維持することを通じて、貿易の決済を容易にし、通貨面から通商を発展させる基盤となったのである。
 イギリスの優位は貿易面だけではなかった。19世紀後半、イギリスは世界の商船の過半数を有して世界の海運業を支配したし、国際金融の面でもロンドンは世界の金融の中心地としての地位を築いた。
 1870年代の初めまでは、イギリスが世界貿易で指導的な役割を演じたが、1870年代の不況期の前後を境に、貿易の世界にも新しい変化がおこった。ドイツやアメリカの工業の発展とくに鉄鋼業の発展に伴って、その製造工業品の輸出が増大し、イギリスの王座が脅かされ始めたのである。1850年には世界の鉄鋼製品輸出に占めるイギリスのシェアは50%を超えていたが、1870年代の後半には37%に低落した。第一次世界大戦直前には、鉄鋼生産でアメリカとドイツがイギリスを追い越し、世界輸出に占める主要諸国のシェアは、1913年にはイギリス13~14%、ドイツ12~13%、アメリカ12~13%、フランス7%で、イギリスはかろうじて首位を保ったものの、ドイツとアメリカの進出は著しかった。自由貿易の気運が逆転して、ふたたび高率の関税による国内産業の保護の動きが現れ、また海外へのダンピングが行われるようになった。イギリスはこの時期、資本輸出を拡大した。
 第一次世界大戦後の貿易の世界における著しい特徴は、イギリスなどヨーロッパ諸国の後退と、それにかわるアメリカの躍進である。大戦による被害を受けなかったアメリカは、ヨーロッパ諸国が戦争で経済力を消耗していた間に生産力を増進し、戦後輸出ではイギリスを抜いて第1位になった。また、カナダや日本が新しい工業国として貿易の舞台に進出してきた。さらに、ロシアが1917年の革命によって社会主義国としての歩みを始め、資本主義世界市場から姿を消した。世界貿易の発展に大きな役割を果たした金本位制は、第一次世界大戦で一時中断したが、1920年代の中ごろに各国は相次いで金本位制に復帰した。戦前の貿易と国際金融の中心であったロンドンと並んで、新たにニューヨークが国際金融市場に登場してきた。第一次世界大戦によって一時凋落(ちょうらく)した貿易は、その後しだいに回復し、世界貿易は1920年代後半には戦前の水準を大きく上回るまでに発展した。しかし、1929年アメリカに端を発した世界的な大不況によって、アメリカやドイツなどで工業生産が半減し、失業者が急増して、世界貿易も大幅に縮小した。その額は1930年代の前半には1929年の30~40%にまで激減している。国際貿易は、かつて経験したことがなかったほどに大きく自由貿易からの後退をみせた。
 1920年代に復活した金本位制は、1931年のイギリスの金本位制の停止を契機にふたたび崩壊し、国際決済機構は動揺した。各国は、海外の経済変動によってもたらされる経済や通貨の混乱を遮断し自国経済の安定を図るために、国家主義的な政策によって、貿易や国際資本移動に制限を加えるようになったのである。貿易に対する規制は、古典的な関税だけでなく、輸入割当制、為替管理、バーター貿易など、もっと直接的な政策手段がとられるようになった。このような貿易の規制に伴って多角的貿易は衰退し、貿易は地域的に分断され、ブロック化されて、世界貿易は縮小した。第二次世界大戦後、分裂した世界経済を再編成し自由な貿易を促進することを目的として生まれたのが、ブレトン・ウッズ機構といわれるIMF(国際通貨基金)やガット(関税および貿易に関する一般協定、1995年以降はWTO=世界貿易機関)である。[志田 明]

IMF体制下の貿易

IMF・ガット体制の基本理念は、原則として自由貿易を推進することであったが、第二次世界大戦後も、一時期多くの国々で輸入制限が行われた。アメリカを除く大多数の国が戦後の経済復興のため緊急に輸入を必要としたのに、それをまかなう輸出が伸びず、ドル不足傾向が続いたからである。しかし、その後ヨーロッパや日本で復興が進み、1950年代の中ごろにはドル不足も解消して、貿易も自由化されるようになった。
 1950年代後半から1960年代にかけて、世界貿易はIMF・ガット体制のもとで急速に増大した。1950年から1970年に至る20年間に世界の貿易額は5倍にも拡大したのである。世界貿易の増加率は世界の所得増加率よりも高く、各国経済は相互依存関係を強めた。貿易の発展にみられた一つの特質は、先進工業国と開発途上国との間の貿易すなわち垂直貿易が相対的に衰退し、先進工業国相互の間の水平貿易が相対的に拡大したことである。1960年代の中ごろの世界輸出の約4分の3は先進工業国によって占められている。それは先進工業国の輸出の成長率に比べて開発途上国の輸出の成長率が低いことを意味し、このような貿易構造の変化に関連して、いわゆる南北問題が大きくクローズアップされるようになった。世界貿易の動向に影響を与えたもう一つの問題は地域経済統合の出現であり、その典型としてのEEC(ヨーロッパ経済共同体、現EU=ヨーロッパ連合)のある程度の成功は、1960年代に各地域でみられた地域経済統合化の動きの引き金になった。1960年代の世界貿易で特筆されるべき第三の問題は、アメリカの相対的な地位の低落と、それに伴うドルに対する信認の低下である。基軸通貨としてのドルの信認の低下は、ドル危機を生み、国際流動性問題を発生させた。ドルを支えIMF体制を維持しようとする各国の努力にもかかわらず、ドル危機は結局、1971年夏のドルと金の交換性の停止を引き起こした。戦後20年余の世界貿易の発展を支えてきたIMF体制の崩壊である。
 1971年末スミソニアンで開かれた国際会議で、変動幅の拡大を伴った固定為替相場制への復帰が合意されたが、それも1年余りで崩れ、結局1973年2~3月、主要諸国は変動為替相場制へ移行した。さらに、1973年と1979年の二度にわたるオイル・ショックによって、石油輸入に依存していた多くの国々は、物価の高騰、経済成長率の低下、国際収支の赤字化に悩まされ、世界貿易は混乱し、各国で保護主義的な気運が高まり、経済摩擦が強まった。[志田 明]

1980年代以降の貿易

その後オイル・ショックを克服した世界経済は、1980年代から1990年代にかけて貿易面にいくつかの新しい動きがみられるようになった。産業の成熟化や交通・情報通信手段の発達により企業の経済活動がグローバル化し、その影響が貿易にも波及したのである。その一つは、対外直接投資(海外での子会社の設立)の急増と、それに伴う貿易の変貌(へんぼう)である。直接投資は、すでに1960年代からアメリカの多国籍企業によって行われてきたが、1980年代に入ってヨーロッパや日本の対外直接投資が大きく増加し、それまで国内で生産し輸出していた製品の生産拠点が海外に移され、そこで生産された製品が第三国や本国にも輸出されるようになり、貿易構造が変化したのである。さらに本国の親会社と海外の子会社の間で生産工程を分業化し、親会社から子会社に(あるいは子会社から親会社あるいは別の子会社に)部品や原材料を輸出するという「企業内貿易」が増加した。
 1980年代に入ってみられるようになったもう一つの貿易構造面の特質は、サービス貿易の拡大である。サービスはもともと生産されたその場所で消費されるものが多く、貿易にはなじみにくいが、産業構造の高度化や交通・情報通信手段の発達によって、海外旅行や国際輸送、技術貿易、金融情報サービスなどの国際取引が増加し、その増加率は財の貿易のそれを上回っている。
 この時期の貿易の動向のうち、地域構造の面に現れた一つの変化は、アジア諸国の貿易の躍進である。日本を除く東アジア地域のなかで、1960年代から1970年代にNIES(ニーズ)(新興工業経済地域)が外資導入と輸出指向的工業政策を背景に、高い経済成長率を達成し、輸出を拡大した。その後1980年代後半に輸出競争力が低下したNIESにかわって、直接投資の受入れをバックに輸出指向的工業を推進し、高度成長を遂げたのが、ASEAN(アセアン)(東南アジア諸国連合)諸国である。これら一連のアジアの経済発展は「東アジアの奇跡」とよばれたこともある。しかし1997年7月のタイ・バーツの為替の切下げに端を発したアジア通貨危機は、アジア諸国に広がり、アジア諸国の経済成長を鈍化させ、貿易を縮小させるなど、アジアの奇跡に陰りをもたらした。
 1990年代のもう一つの特筆すべき世界経済の変容は、1990年代初めの旧ソ連や東欧諸国における社会主義体制の崩壊に伴う市場経済への移行と中国の社会主義市場経済のもとでの市場経済化の発展である。このうち中国は1978年に改革開放政策に転換して以来、曲折はあるものの総じて高い経済成長を達成し貿易も急速に拡大しており、世界経済に与える影響も昨今ますます高まってきている。[志田 明]

2000年代以降のアジアの貿易動向

このようななか、アジア通貨危機を経て2000年代に入ると(1)安価で豊富な労働力や生産コストがASEANと比較して優位であること、(2)直接投資環境(外資優遇策、インフラ整備、物流等)が急速にASEANに追いついてきたことから、外国企業の中国への直接投資が急増した。また、中国では最終財(最終生産物)を中心に欧米向け輸出の伸びが顕著になるとともに、中間財を中心としたアジア域内向け輸出も着実に増加した。他方、韓国、台湾、ASEANにおいては、最終財を中心にした欧米向け輸出の伸びは縮小傾向にある反面、中間財を中心としたアジア域内向け輸出は大きく増加した。このような国際的な分業がアジア域内で加速し、国境を越えた生産ネットワーク(域内生産ネットワーク)により、アジア経済が急速に進展した。
 ところが、欧米を震源地とする世界的な金融危機(サブプライムローン問題やリーマン・ショック)は欧州向け輸出の減少を通じて、アジア域内貿易を縮小させ、さらに各国の輸出品の生産減少を同時連鎖的にもたらしたことから、アジア経済においても実体経済に深刻な打撃を与えることとなった。この金融危機は、アジアの貿易が欧米諸国の需要に大きく依存している構造になっており、欧米の景気変動に対して脆弱(ぜいじゃく)性が高い状態にあることを浮き彫りにした。[前田拓生]

近代における日本の貿易

日本の中国大陸や朝鮮半島との間の交易は古くから行われていたが、近代的な貿易が開始されたのは幕末の開国からであり、本格的に貿易が行われるようになったのは明治に入ってからである。
 明治初年から明治10年代に至る貿易は、主として外国の商人によって行われ、日本はまだ関税自主権をもたなかった。当時の輸入品は、ほとんどが綿織物、毛織物、砂糖などの工業製品であり、輸出は生糸や茶であった。貿易収支は入超を記録し、金銀が海外に流出した。明治10年代に入って政府によってとられた産業育成政策や貿易振興政策が功を奏して、その後繊維産業を中心に軽工業が盛んになり、輸出でも繊維製品が大きな比重を占めるようになった。とくに1900年(明治33)ごろを境に繊維製品を中心にした軽工業品の輸出が急増し、工業製品が日本の輸出の半分以上を占めるまでに成長した。一方、輸入では綿花などの原料がしだいに増加して、日本の貿易はこの時期に加工貿易型へ移行し始めた。また、日清(にっしん)戦争の賠償金を背景に1897年に金本位制が採用され、1899年と1911年の関税制度の改正によって関税自主権を確立するなど、日本は近代資本主義国としての形を整えるようになった。20世紀に入ると重工業も勃興(ぼっこう)し、日露戦争前後から急速に発展したが、明治時代にはまだ重工業品はかなりの部分を輸入に依存していた。重工業品の輸出が本格的に始まるのは第一次世界大戦からであり、軽工業品にかわって輸出の中心になるのは第二次世界大戦後の昭和30年代以降である。
 第一次世界大戦は、日本の輸出を飛躍的に伸張させた。戦争でヨーロッパ諸国の輸出が低落していた間に日本の輸出が躍進し、貿易収支は大幅な黒字になった。戦争による船舶の不足は、日本の造船業や海運業を発展させた。第一次世界大戦を転機に、繊維工業だけでなく鉱業や重化学工業も急進し、日本は文字どおり工業国として目覚ましい発展を遂げたのである。戦時ブームの反動で、戦後になると日本経済は続発する不況にみまわれた。各国は第一次世界大戦によって中断していた金本位制に相次いで復帰したが、日本が金輸出を解禁したのは1930年(昭和5)である。そのときすでに世界経済は大不況のただ中にあり、日本経済も深刻な不況に陥って、翌年末にはふたたび金輸出は禁止された。大不況期には世界貿易は大幅に縮小した。日本の貿易もその例外ではなかったが、その後輸出は、金本位制離脱後の円の為替相場の下落によって増加した。しかし、そのような輸出の増加は、相手国の関税引上げや輸入制限などの報復措置を招き、日本は国際市場でしだいに孤立化し、貿易は当時形成された円ブロックの域内に集中していった。[志田 明]

第二次世界大戦後の日本の貿易

第二次世界大戦直後の日本の貿易は、GHQ(連合国最高司令部)の管理のもとに行われた管理貿易である。その後、第二次世界大戦後の経済混乱期からの回復を経て、1949年には単一為替レートが設定され、民間貿易も再開された。1950年の朝鮮戦争の勃発は、日本経済と貿易に大きな影響を及ぼした。戦後インフレの収束期で停滞ぎみであった経済は、戦争が引き起こした朝鮮特需によって活況を呈し、輸出も増加したのである。しかし、朝鮮特需は1951年末には鎮まり、その後貿易収支も赤字になり、日本経済は不況に転じた。この間日本はIMFやガットに加盟するなど、国際経済社会への復帰を果たしている。「もはや戦後ではない」といわれた1955年は、日本経済と貿易の一つの転機となった。日本経済は、「神武(じんむ)景気」「岩戸景気」といわれた上昇期を経て、1950年代後半から1960年代に至る高度成長期を迎えたのである。多少の曲折はあったものの、貿易も以後着実に増加していった。高度成長のもとで産業構造は重化学工業の比率を高め、輸出構造も重化学工業化していった。それと並行して、貿易・為替の自由化も行われている。戦後とられてきた為替管理は緩和され、1964年にはIMFの8条国(IMF加盟国内で、為替制限を撤廃するなどのIMF協定第8条の義務を負う国)に移行し、1965年までには90%を超える貿易自由化率を達成したのである。1960年代後半には、日本の産業は国際競争力を強め、世界市場でシェアを拡大し、貿易収支は黒字基調となった。一方、輸出の急激な拡大は、欧米諸国との間の貿易摩擦を生むようになった。
 1970年代に入ると、日本の貿易はもう一つの屈折点を経験した。1971年のドルと金の交換性の停止後、スミソニアンの合意によって日本は円の為替相場を切り上げたが、それも長続きせず、1973年以降変動為替相場制に移行した。さらに1973年に始まったオイル・ショックは、インフレと経済成長の鈍化をもたらし、国際収支を悪化させたが、日本経済は優れた適応力によって比較的短期間にその打撃を切り抜け、貿易収支は黒字基調に戻った。
 その後、1985年のプラザ合意を契機に為替相場が円高に推移したことや、製造業の成熟化、貿易摩擦などに対応して、1980年代後半から日本の対外直接投資が急増し、貿易構造も変化した。これまで日本から輸出されていた技術的に成熟化した工業製品の生産は海外の子会社に移され、その製品の一部が日本に逆輸入されるようになった。他方、日本の輸出は海外の工場に必要な機械設備やより高度の技術を必要とするような製品に高度化した。また、企業内貿易も盛んになった。こうして日本の輸入構造は、1990年代に入って輸入に占める製品輸入の比率が50%を超えるまでに増大した。日本の貿易は1980年代前半までの原料や燃料を輸入して製品を輸出する加工貿易型の貿易構造から、相互に製品を輸出入しあう水平貿易型の貿易構造に変容したのである。このような貿易構造の変化は、貿易の地域構造にも影響を及ぼし、1980年代まで比較的高い割合を占めていたアメリカとの間の貿易は、相対的に比重が低下し、かわって東アジア諸国との間の貿易が増加するようになった。[志田 明]

グローバル経済下における日本の貿易

日本の輸出依存度は、1980年代に円高を背景にして低下していたが、1990年代以降は上昇し、輸出によって景気が牽引(けんいん)されたことを反映して、とくに2000年以降は上昇テンポを速めている。リーマン・ショック等の世界的な金融危機で一時的に大きく落ち込んだものの、長期的には上昇傾向が続いている。しかも、輸出を財貨・サービスに分けた場合、日本は財貨のウェイトが高く(約9割でおおむね安定している)、製造業を中心とするものづくりに依存した構造になっていることがわかる。このようなことから輸出は、国内生産のみならず設備投資の誘発という意味で、重要な役割を果たしているといえる。
ところが最近では、新興国における生産基盤の充実や内需へのシフトが進むなかで、それまで圧倒的に強かった中間財も対東アジアで比較優位が低下するなど、日本の輸出競争力の低下が懸念される。今後は東アジア地域の所得の向上を見据えて、完成品の水平分業を展開させる方向に進むかどうかが、日本の貿易動向において注目されるところである。[前田拓生]
『A・G・ケンウッド、A・L・ロッキー著、岡村邦輔他訳『国際経済の成長』(1977・文眞堂) ▽伊藤元重・大山道広著『国際貿易』(1985・岩波書店) ▽若杉隆平著『国際経済学』(1996・岩波書店) ▽松村敦子著『入門 国際貿易』(2010・多賀出版)』

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世界大百科事典内の貿易の言及

【貿易理論】より

…貿易理論は国際経済理論の一分科であり,国際収支,とりわけ経常収支の均衡が維持されているという前提のもとで,各国の経常取引(一定期間中の財・サービスの売買および所得の移転)の構造がどのように決定されるか,またそれがいかなる厚生経済学的意義をもつかについて研究する領域である。これに対して,国際収支の均衡がいかにして達成されるかは,国際経済理論のもう一つの分科である国際金融理論の研究課題である。…

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