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サムイル Samuil

世界大百科事典 第2版の解説

サムイル【Samuil】

?‐1014
第1次ブルガリア帝国末期の皇帝。在位997‐1014年。地方長官の子。971年東部ブルガリアビザンティン帝国の支配下に陥ると,西部ブルガリアのオフリトに拠って抵抗を続け,被占領地を奪回し(976),後に帝位に就く。一時ペロポネソス半島やアドリア海沿岸に侵攻し,独立保持と領土の拡大に努めたが,1014年バシレイオス2世のビザンティン軍に敗れ,急死した。その4年後第1次ブルガリア帝国は最終的に滅亡した。

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世界大百科事典内のサムイルの言及

【ブルガリア】より

… 10世紀後半,ビザンティンは,キエフ・ロシアのスビャトスラフ公を使嗾(しそう)して衰勢にあったブルガリアを攻撃させて,東ブルガリアを自国の領内に併合した。一方,西ブルガリアではサムイル帝(在位997‐1014)が,オフリトを中心としてバルカン山脈の北からドナウ川の地域と,現在のマケドニアとアルバニアを含む地域を支配下に置いて勢力を保持した。しかし1014年,後に〈ブルガリア人殺し〉と呼ばれたビザンティン皇帝バシレイオス2世の猛攻を受け,18年,第1次ブルガリア帝国はビザンティン帝国に併合された。…

【マケドニア】より

…その後ステップ地方から到来したブルガール族はスラブ化しつつ第1次ブルガリア帝国を形成したが,シメオン1世(在位893-927)期にマケドニア地方を支配下に入れた。その後同帝国は分裂するが,サムイル帝(在位997-1014)がプリレプPrilep(のちにオフリト)に首都を置き,オフリトに正教の総主教座を設けた。1018年にはマケドニア朝(867-1057)ビザンティン帝国がふたたび当該地方を奪還し,以後14世紀にいたるまで,第2次ブルガリア帝国(1186-1396)とビザンティン帝国が攻防を繰り返した。…

※「サムイル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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