オフリト(英語表記)Ohrid

改訂新版 世界大百科事典 「オフリト」の意味・わかりやすい解説

オフリト
Ohrid

マケドニア共和国オフリト湖東岸の都市。人口3万2000(1977)。9世紀後半にブルガリア人に征服され,スラブ人への布教の拠点となる。中期以降のビザンティン美術の多いことで知られる。最も古いスベータ・ソフィヤ大聖堂(11世紀)は創建当初の中央円蓋を失い,現在はバシリカ式プランで14世紀の2層式の西正面をもつ。アプスに残る〈玉座の聖母子〉〈聖体拝領〉,ベマの〈キリスト昇天〉を中心とする壁画は,いずれも11世紀の作例。スベーティ・クリメント聖堂(1295)はギリシア十字式建築の原状をよく伝え,内部には〈キリストの死〉や〈聖母の死〉など,力強く,群像構成にすぐれた同時代の壁画が保存される。珍しくミハイルとエウティヒオス両名の画家の署名も残る。側堂を利用したイコン美術館は〈マタイ〉(13世紀),〈受胎告知〉(14世紀)などのイコンを収蔵。町は1398-1912年オスマン帝国の治下にあり,多くの聖堂がモスクに改造された。ほかに湖周辺には13~14世紀の聖堂が多く残る。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のオフリトの言及

【マケドニア】より

…河川は,多くの支流をもつバルダル川がギリシアを経てエーゲ海に,西部山岳地帯のツルニ・ドリムCrni Drim川がアルバニアを経てアドリア海に注ぐ。おもな湖に,南西部のアルバニアとの国境にオフリト湖,プレスパPrespa湖,南東部のギリシアとの国境にドイランDojran湖,そして第2次大戦後に建設された人造湖としてマブロボMavrovo湖が西部にある。
【住民】
1994年国勢調査による民族構成は,総人口193万6877のうち南スラブ人の一枝である〈マケドニア人〉が128万8330(66.5%)を占め,次にアルバニア人44万(22.9%),その他トルコ人7万7252(4.0%),セルビア人3万9260(2.3%),ロム(ロマ,ジプシー)4万(2.3%)など。…

【ユーゴスラビア】より

…コソボのプリシュティナ近郊プレディオニツァPredionicaからは,前2千年紀後半の,眼と鼻を強調した小さな塑像が出ており,イリュリア人の時代では,スロベニア中部リュブリャナの東のバチェVačeから,打ち出しで日常生活や動物を描いた前500年前後の青銅の容器が出土している。またマケドニア南部オフリト湖北のトレベニシュテTrebeništeやセルビア南部ノビ・パザールNovi Pazarからは,ギリシアのアルカイク美術の影響を示す金工品などが出土しており,のちにマケドニア王フィリッポス2世によるヘラクレイアHērakleia(現ビトラ,マケドニア南部)の建設や,トラグリオンTragourion(現トロギルTrogir,ダルマツィア南部)などのアドリア海沿岸のギリシア植民都市の建設に先がけて,ギリシア文化の内陸部への影響を物語っている。 紀元前後,最終的にローマに征服され,ダルマティア,ノリクム,パンノニア,モエシア,マケドニアなどの属州が置かれ,ローマの文化が当地に及ぶ。…

※「オフリト」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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