ジョン ウー(読み)呉 宇森(英語表記)John Woo

現代外国人名録2016 「ジョン ウー」の解説

ジョン ウー
呉 宇森
John Woo

職業・肩書
映画監督・プロデューサー

国籍
香港

生年月日
1946年9月23日

出生地
中国・広州

学歴
利瑪竇書院卒

受賞
香港電影金像奨監督賞(第9回)〔1990年〕「喋血雙雄」,香港電影金像奨最優秀編集賞(第12回)〔1993年〕「ハード・ボイルド/新・男たちの挽歌」,アジア映画賞(最高興行収入監督,第4回)〔2010年〕「レッドクリフ」,ベネチア国際映画祭名誉金獅子賞(第67回)〔2011年〕

経歴
4歳の頃家族とともに香港に移住。幼い頃から映画・演劇に興味を持ち、「中国学生周報」が主宰する新劇の団体に所属。19歳の時から実験映画を撮り始め、1969年国泰電影公司(キャセイ・フィルム)に入社し、助監督に。’71年邵氏兄弟公司(ショウ・ブラサーズ)に移り、張徹監督の「馬永貞」(’72年)、「刺馬」(’73年)等の助監督を務め映画技術を学ぶ。’73年嘉禾電影公司(ゴールデン・ハーベスト)へ移籍、「カラテ愚連隊」で監督デビュー。’84〜85年は台湾で活動。’86年香港に戻り「男たちの挽歌」を監督、爆発的大ヒットにより一躍“香港ノワール”の旗手となる。’90年「狼/男たちの挽歌・最終章」が全米で公開され好評を博し、’93年「ハード・ターゲット」でハリウッド進出。’94年製作パートナーのテレンス・チャンと組み、映画製作会社WCGエンタテインメントを設立、「ブロークン・アロー」(’96年)を大ヒットさせる。’97年には「フェイス/オフ」が香港出身監督としては初の全米1位となる。再びアジアに戻り、2008〜2009年「三国志」を映画化した「レッドクリフ Part1」「レッドクリフ Part2―未来への最終決戦―」(中国映画)を発表。他の作品に「帝女花」(1976年)、「滑稽時代」(’80年)、「ワイルド・ブリット」(’90年)、「狼たちの絆」(’91年)、「ハード・ボイルド/新・男たちの挽歌」(’92年)、「ブロークン・アロー」(’96年)、「M:i-2(ミッション・インポッシブル2)」(2000年)、「ウインドトーカーズ」(2002年)、「ペイチェック」(2003年)、「1949」(2009年)、「レイン・オブ・アサシン」(2011年)など。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

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