ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「スパー会議」の意味・わかりやすい解説 スパー会議スパーかいぎConference of Spa 第1次世界大戦後,ドイツの軍備制限,賠償問題などを協議するため,1920年7月5~16日にベルギーのスパーで開かれた連合国の国際会議。この会議でドイツは,陸軍兵力を 10万人に縮小することなどを定めたベルサイユ条約による軍備制限を 21年1月までに実施することが決められた。また同条約で具体的取決めのなかった賠償金の各国への支払比率などについても,(1) 20年8月から6ヵ月間毎月 200万tの石炭をフランス,イタリア,ベルギーに供給する,不履行の場合はルール地方 (ドイツ有数の炭田地帯) を占領する,(2) 連合国の占領経費を除いた全賠償額の支払比率をフランス 52%,イギリス 22%,イタリア 10%,ベルギー8%,日本,ポルトガル各 0.75%,ギリシア,ルーマニアほかで合計 6.5%とすることが協議されたが,(1) についてはドイツ側が承認を拒否した。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by
日本大百科全書(ニッポニカ) 「スパー会議」の意味・わかりやすい解説 スパー会議すぱーかいぎ 1920年7月、ベルギーのスパーで開かれた第一次世界大戦の敗戦国ドイツの賠償に関する会議。連合国の占領経費を控除した全賠償額を、フランス52%、イギリス22%、イタリア10%、ベルギー8%、その他と決定したが、この比率はその後の賠償問題論議の基礎となった。[栗原 優] 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by