改訂新版 世界大百科事典 「タシュティク文化」の意味・わかりやすい解説
タシュティク文化 (タシュティクぶんか)
南シベリア,中部エニセイ川流域に分布した鉄器時代(前1世紀~後5世紀)の文化。エニセイ川流域のバテニ村近くのタシュティクTashtyk川にある墓からその名がつけられた。墳丘墓と地下式墓とがあり,火葬骨を伴う。文化の担い手は,コーカソイドのタガール文化と異なり,コーカソイドとモンゴロイドの混血であった。副葬品には,白色粘土製のデスマスク,各種土器があり,また中国との交易を示す絹織物,漆器,漢式鏡,傘などもある。貴族の墓からは,馬,牛,羊,鹿などの木彫品が出土し,奴隷と思われるぬいぐるみの人形もあった。全体としてこの文化の作品は写実的である。これらの文化を残した人びとは有畜農耕民であり,6世紀に形成された古代ハカス国家は彼らの後裔,すなわちチュルク諸語系の言語を使用するキルギス族であった。なお,この文化に属する注目すべき建築址として,アバカン市で発見された漢との交流を示す瓦ぶきの炕(カン)を有する遺構をあげねばならない。
執筆者:加藤 晋平
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