精選版 日本国語大辞典 「混血」の意味・読み・例文・類語
こん‐けつ【混血】
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「異なる人種、種族、民族の間で子供が生まれること、または生まれた子供」と定義されるが、生物学的な意味と社会・文化的な意味との混ざり合ったあいまいな概念である。日本語の「混血」は人間に対してのみ用いられ、他の生物については「雑種」という用語が用いられるが、外国語、たとえば英語では両者はhybridという一つの用語で包括されている。
日常われわれが慣用的に使っている混血ということばは、かならずしも生物学的根拠に基づいたものではない。しかし、実際には生物学的根拠がなかったり、いまだに解明されていなかったりすることが、あたかも混血についての科学的事実であるかのように語られることがある。現在も各地で社会にさまざまな問題を投じ続けている混血という概念を理解するうえで、その社会・文化的意味を把握しなければならない。ここではまず、混乱を避けるために、混血の生物学的意味をその他の部分から切り離して考える必要があろう。
[木村秀雄]
雑種には「同じ種のなかでの雑種=種内雑種」と「異なる種の間での雑種=種間雑種」とがあるが、現生人類はすべてホモ・サピエンスという単一の種であるため、混血は種内雑種に相当するものである。そして混血という生物学的概念の根拠としているのが人種という概念である。
人類のもつ身体形質は非常に多様である。皮膚色ひとつをとってみても、もっとも白いものともっとも黒いものとの間の変異幅は大きい。人種とは、そのように皮膚色や頭髪の色と形状、瞳(ひとみ)の色をはじめとする多様な身体形質の差異によって人類をいくつかの集団に区分したものである。近年、血液中にある血清タンパク、赤血球酵素の遺伝型が詳しく調べられ、集団の差異を対立遺伝子の頻度を用いて数的に表現できるようになってきた。皮膚色などの目につきやすい身体形質によって区分した従来の人種分類に比べて、より科学的な分類への道が開かれつつあるといってよいかもしれない。しかし、科学的な人種分類を確立するためにはまだ大きな問題が残されている。それは、人類の諸形質が多型的であり、一つの集団のなかに身体特徴のさまざまに異なる個人が共存していることである。人類をいくつの人種に分けるかについても諸説あるのだが、いずれの分類に従っても、2人種をある身体形質について比べたときに、その平均値は異なっていても、変異の幅は互いに重なり合い、具体的な個人を取り上げてみると、どちらの集団に属するのか確定することはむずかしい。つまり人種とは、人間の集団どうしの区分をするときにのみ意味をもつ概念であり、実際に個人を分類するというよりは、統計的、抽象的なものであるといわざるをえない。この困難を解決しない限り科学的な人種区分を確立することはむずかしく、分子遺伝学の発達に伴って人種の研究がより科学的になりつつあるといっても、人種の分類はいまだに仮説的なものにとどまっており、人種という概念自体を疑問視する学者もある。
混血との関連でいえば、これまで他の集団と遺伝子の交流がまったくなかった「純粋」な人種などはありえず、この点からみれば、すべての人類は混血であるという言い方もできよう。また、人種が統計的、抽象的概念であるとすれば、当然混血も統計的、抽象的概念であり、具体的な個人が混血であるか否かを生物学的に決定することはむずかしい。
混血の形質は両親の中間をとることが多いが、どちらの影響を強く受けるかは、形質によってもまた個人によっても異なり、モンゴロイド的な顔に金髪の子供や、逆にコーカソイド的な顔に黒髪の子供が生まれたり、兄弟で形質の特徴がまったく違って現れるなどさまざまである。
混血の生物学的特色に関して、動植物でしばしば話題になる雑種強勢が指摘されることがある。雑種強勢とは、雑種が病気、気候に対する抵抗性や身体の大きさにおいて両親よりも優れているという現象であり、混血は両親のいずれよりも体が大きいとか、俗に美人が多いなどがその例であるとされる。しかし、体が大きいことがそのままよいことであるのか判定することは不可能であるし、美の基準に至っては文化的、主観的なものであって科学的な判定はできない。また一般に混血の子供には親の両集団よりも幅広い変異がみられるが、人類はそれぞれの住む環境に適応しており、混血することによって適応性が薄れるという見方や、逆に混血がもつ変異幅の広さが環境への適応力を高めているという見方もある。いずれにせよ、ある形質が適応的であるか否かは簡単に決められる問題ではなく、まして文化をもった人間においては適応の問題を生物学的に扱うことはいっそう困難である。
[木村秀雄]
現実の社会生活においては、混血であるか否かを決定する最大の基準は社会的認定である。つまり、ある社会で混血であると認定されれば混血になるということである。たとえば、社会・文化的にはっきり区別できる集団の成員、たとえば白人と先住民の間で生まれたという事実が知られていれば、その子供はまず確実に混血であるとされる。しかし、そういった事実はいつでも確かめられるわけではない。そのため、混血であるか否かの認定には身体形質の差異や社会・経済的背景などがしばしば用いられる。しかし身体形質の差異は個人個人で現れ方が異なり、たとえばネグロイドとの混血があっても外見上はコーカソイドとまったく見分けがつかないことがある。また混血後何世代もたっていると、混血かどうかを厳密に区別するのは不可能である。かつて白人と混血(カラード)との区別を重要視した南アフリカ共和国で、同国内の白人の多くは実は混血であるとの研究書が刊行され、その当否をめぐって大きな波紋を呼び起こしたことがある。混血の社会的認定は科学的根拠というより結局は認定者の主観によらざるをえないわけで、混血と非混血の区別や混血の細かい分類、ひいては混血に対する態度などは、その集団のもつ文化によって千差万別である。
北アメリカや南アフリカの白人社会では、外見上白人と見分けがつかず生活様式も同じで白人として扱われていた人物が、混血していることが判明すると、白人たる資格を例外なく剥奪(はくだつ)されたといわれるが、南アメリカのかつてのスペイン人社会では金を支払えば白人と認めたという例もある。また、どのような組合せの混血であるかによって呼び名が細かく違う地域もある。たとえば、メキシコなどではスペイン人と先住民の混血をメスティソ、スペイン人と黒人の混血をムラート、先住民と黒人の混血をサンボとよんだ。また実際にどれだけ意味があったかは疑問であるが、スペイン人とメスティソの混血をカスティソ、スペイン人とムラートの混血をモリスコとよぶような細かい分類が行われたこともある。
ペルーの農村部では、メスティソは先住民たちによってミスティとよばれるが、この認定基準はメキシコとは異なっている。先住民たちはミスティをいちおう「スペイン人の子孫」とみなしてはいるものの、実際には「外部から入ってきたよそ者」「金持ち」「有力者」「自分たちの文化とは違った生活様式をもつ人々」という社会・文化的基準によって、その人物がミスティであるかどうかを認定している。
ところで、白人、メスティソ、先住民の3区分が、ラテンアメリカの国家ないし社会を考えるうえで基本的な区分であるといわれるが、これは国家の中心を占める白人や外部の人間の観点であり、かならずしも先住民やメスティソの観点ではないことに注意しなければならない。彼らがはたしてこの三つを対立した明確な区分ととらえているかどうかは不明である。
[木村秀雄]
混血は、それまで交流が乏しかったか、まったくなかった社会どうしが、植民、戦争、交易、追放などを通して接触することによっておこる。この接触の契機は、勝者の側からなかば暴力的に強制されたものである場合もあれば、両者の自発的な意志による平和的なものである場合もある。ラテンアメリカを征服したヨーロッパ人と先住民インディオとの間の混血は平和的なものとはいえないが、異なった社会に属する人間の交流する機会が昔と比べて飛躍的に増加した現代では、混血もそれとは異なった状況にある。
混血にまつわる諸問題は、混血が生じた社会的背景とけっして無縁ではない。生物学的な混血それ自体に問題があるのではなく、混血を問題とする社会のあり方が問われなければならないのである。混血が社会的に深刻な問題となるのは、しばしばそこに差別やいわれなき偏見が付きまとっているためである。それまでほとんど交流のなかった集団どうしが接触する場合、その間での性交渉が不道徳視されることがままある。南アメリカの場合においては、初期のスペイン人、ポルトガル人征服者は大部分が男性であり、先住民女性との性交渉はたいがい婚外交渉であった。そこで生まれたほとんどの子供は私生児ということになり、両親から受け継ぐべき正当な権利を認められないことが多かったのである。日本においては、第二次世界大戦後に生まれた混血の子供たちに対する差別や偏見が抜きがたく存在する。当時の厚生省公式発表(1953)によれば混血の子供たちの総数は3972人であった。しかし、実数はつかみにくいものの約2万人に上っただろうとみられている。アメリカ占領軍兵士と日本人女性の間に生まれた混血の子供たちおよびその母親は日本社会で差別を受け、不利益を被ってきたのである。「よそ者」と性交渉をもつことや混血の子供たちを生むことが非難の的になり、混血は社会の正当な一員とは認められなかったのである。以上の例では、混血は社会の少数者にとどまり、父親の属する集団からも母親の属する集団からも完全に受け入れられることがなかった。南アメリカの混血メスティソも先住民社会からもスペイン人社会からも切り離されていた。しかも、帰属すべき集団をもたない混血の人々は個人または家族ごとに分断され、混血という一つの勢力を形成することもできなかったのである。そのため、その人口が少数にとどまっている間は、白人社会の底辺に位置してその内部で上昇しようとするか、先住民への帰属意識を高め、そこに自らのよりどころを求めるしかなく、彼らはまさに社会・文化的に根なし草になってしまったのである。
混血が社会の少数者でその勢力も大きくないときは、社会の中心を占める人々にとってはさほど問題でないともいえるが、その数が増大し社会のなかで大きな部分を占めるようになってくると、今度は社会、ひいては国家の統合上の問題が起こってくる。ブラジルでは「混血に対する差別がない」「すべての人種は平等である」というスローガンによって国民の統合を図ろうとしており、これがブラジル国民のイデオロギーといえるまでになっている。実際にはそのような平等は存在せず白人の優位はあくまで崩れていないという論者もあるのだが、「多くの人種の混合によって超人種とでもよべるような世界でもっともすばらしい人間をブラジルはつくりだした」という主張までなされるほど、少なくともブラジル社会の主流を占める人々はこのスローガンを固く信じている。
またメキシコなどでは、多分に政治的な意図のもとに、ヨーロッパ人によるアメリカ大陸征服以前の伝統と現在とのつながりを強調し、先住民的なものを賞賛しようという動きもみられる。しかし混血に対する見方は、みる人がどの社会集団に属するかによって異なり、このようなスローガンが多くの場合白人を中心とした支配層によって唱えられているため、メスティソや先住民もこれに同調しているかどうかは疑わしい。また、インカの伝統を強調するペルーと高文明の伝統をもたないブラジルなどを比べた場合、国によってスローガンの中身にも大きな相違がある。しかし、先住民、メスティソ、白人の三者を統合し国家の発展を目ざすという視点は、現在のラテンアメリカの為政者に多かれ少なかれ共通すると思われる。
このように、混血の問題は、混血が全人口に占める割合やその社会的勢力ともかかわっているわけであるが、混血という概念が生物学的定義の不確かさにもかかわらず存在し続けるのは、それが自らのアイデンティティにかかわっていることが多いためである。「われわれ」を「よそ者」から区別し社会における自分の位置を見定めるための基準が、外見であったり、「よそ者」との間に生まれたのか否かという点であり続ける限り、混血の問題が解消することは困難であろう。混血の定義自体がむずかしい現在、軽々しく生物学的差異を持ち出すことは、差別するための理由を探す行為である場合もあるだろう。社会間の交流が深まり、一つの社会に外見の大きく異なった人々が混在するようになれば、混血が問題にならなくなるかもしれない。人間が「われわれ」と「よそ者」を区別し、「よそ者」を差別することによって自らを高い位置に置こうとするならば、すべての差別問題を解消することはむずかしいだろう。しかし、現状ではまだむずかしいとはいえ、さまざまな人間がかなりの頻度で混ざり合ってしまえば、混血であるか否かは、少なくとも差別の根拠とはなりえなくなるであろう。
[木村秀雄]
『寺田和夫編『人類学講座7 人種』(1977・雄山閣出版)』
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[旧イギリス領アメリカとの違い]
ラテン・アメリカの名が示すように,基本的にはスペイン,ポルトガルによって代表されるラテン系ヨーロッパ文化がこの地域の文化的骨格をかたちづくっているが,コロンブス到着以前に長い歴史的展開を示した先住民文化や,16世紀以後奴隷として連れて来られたアフリカ人の文化も,それぞれの地域の文化に強烈な特色を与えている。同じくヨーロッパ人,先住民,アフリカ人によって人口構成の基礎がつくられたアメリカ合衆国の場合は,各民族集団間の隔離が特色であったのに対し,ラテン・アメリカでは,3者間に非常な血の混合が起こり,メスティソ(白人と先住民の混血),ムラート(白人と黒人の混血),サンボ(先住民と黒人の混血)などの集団が多数発生して,社会的に重要な意味をもっている点が注目される。先住民についていえば,アメリカ合衆国やカナダの狩猟民や小規模な農民社会と違い,アステカ,マヤ,インカなどの文明地帯には,安定した農村社会と密集した人口があり,また金銀などの鉱物資源が早くから発見されたため,スペイン人の征服後,彼らの労働力徴発による生産体系が急速に成立した。…
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