ダーネビルケ(英語表記)Danevirke

改訂新版 世界大百科事典 「ダーネビルケ」の意味・わかりやすい解説

ダーネビルケ
Danevirke

ユトランド半島南端をほぼ東西に走る土塁群。〈デンマーク人の堡塁〉を意味し,南すなわちドイツからの攻撃に備えたものである。建設はほぼ3期に分かれる。第1期は730年ころ,シュライ湾南部の両側に位置し,のちに建設される交易地ヘゼビューハイタブ)はこの防衛線より南にある。第2期は9世紀初め,ヘゼビューより南に建設された。第3期は10世紀前半で,ヘゼビューを大きく囲む半円形の壁として構築された。

 第2期工事については《フランク王国年代記》の808年の項に,デンマーク人の王ゴトフレドがスリエストルプSliesthorp(ヘゼビュー)に進軍し,ザクセン人に対する境界を防衛すべく東西に走る土塁を築いたとある。土塁は平均5~6mの高さをもち,北側はなだらかで,南面は切り立ち,深さ1.5m,幅4~5mの濠がある。頂点には木柵があったらしい。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のダーネビルケの言及

【デンマーク】より


【歴史】
 エルテベレ貝塚など中石器時代の遺跡も知られるが,800年ころに始まる〈バイキング時代〉からデンマークの歴史時代が開始される。デンマーク最初の王たちは自地域の最南に土塁〈ダーネビルケ〉を構築し,交易地ヘゼビュー(ハイタブ)の防衛と祖国防衛に力を注ぎ,この活動の延長上に,王の率いるバイキング活動が存在し,フランク王国とはアイダー川を国境として約定した(811)。やがてイェリングの地で興った王家は,970年ころハーラル青歯王Harald Blåtand(在位935ころ‐985ころ)治下で王国をキリスト教化し,その子スベン1世がイングランドを征服しその王を兼ね(1014),その次男クヌット2世が1016年イングランド王位に就き,18年兄ハーラル2世の没後はデンマーク王を兼ね,さらに28年ノルウェー王にも推戴され,3王国の王となった(これは北海帝国と呼ばれる)。…

※「ダーネビルケ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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