改訂新版 世界大百科事典 「ヘゼビュー」の意味・わかりやすい解説
ヘゼビュー
Hedeby
ユトランド半島南部,バルト海より深くシュライSchlei湾が入り込んだ奥に位置するバイキング時代の交易地。ドイツ語ではハイタブHaithabuと呼ばれる。現在はドイツ領に属する。《フランク王国年代記》808年の項に,デンマーク人の王ゴトフレドがオボトリト人(ポーランド人系)の交易地レリクRericを破壊し,その商人をスリエストルプSliesthorp(ヘゼビュー)に移住させたとあり,ほかにスリアスウィクスSliasvicus(〈シュライ湾の交易地〉)とも呼ばれた。
この地峡はユトランド半島を横断する最短陸路として,すでに7世紀からフリースラント商人に利用されたらしい。ヘゼビューの遺跡は海側を除き高さ5~10mの半円形の壁に囲まれ,面積約24ha。考古学的研究によれば,800年ころから11世紀中ごろまで利用されたとみられる。最盛期は9世紀末から10世紀前半で,この時期には手工業生産も認められる。半円形の壁の建設は10世紀前半とされ,ダーネビルケと呼ばれる。出土品は西欧の陶器,ガラス製品,布,フランクの剣など,基本的にビルカ,スキーリングスサルなど,他のバイキング交易地出土品と同じで,ここが西欧からバルト海への交易の中継点だったことを示す。手工業はとくに金属装飾品製造が中心であるが,原料の鉄はスウェーデン,メーラル湖地方産のものである。この地はデンマークとドイツ(ザクセン)の境界にあたり,スウェーデン勢力も加わった争奪の対象となるが,1050年ころノルウェーのハーラル3世苛烈王に,1066年にはポーランド人海賊による焼打ちにあい,放棄された。のちシュライ湾対岸に今日のシュレスビヒ市が建設されるが,ヘゼビューとの機能上の連続性については疑問がある。
執筆者:熊野 聰
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報