チャンバンザオ(英語表記)Tran Van Giau

改訂新版 世界大百科事典 「チャンバンザオ」の意味・わかりやすい解説

チャン・バン・ザオ
Tran Van Giau
生没年:1910-69?

1930-40年代,南部ベトナムにおけるインドシナ共産党の指導者。フランスに留学した後,モスクワで訓練をうけ,1931年から35年にかけてゲティン・ソビエト壊滅後の最も困難な時期のインドシナ共産党書記を務める。1933年以降,サイゴンタ・トゥ・タウらのラ・リュット派と共同戦線をもち,35年のサイゴン市会選挙では,タウのほかに自派からグエン・バン・タオ,ズオン・バク・マイを当選させる。45年8月の日本軍の敗北とともに,8月22日南部委員会を開設して事実上の独立を果たした。イギリス軍上陸を目前に,統一戦線結成のため委員会を辞任したが,その後も影響力を行使しつづけ,タウを含む多くの政敵暗殺に関与したといわれる。しかしその過激性のためか,共産党中央の指示により46年南部の指導者の地位をグエン・ビンに譲った。その後ハノイで修史事業に参加し,《ベトナム労働者階級》ほか優れた革命史を書く。69年ハノイで死去したと伝えられる。
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世界大百科事典(旧版)内のチャンバンザオの言及

【ベトナム】より

…この社会変容を背景に,1925年ホー・チ・ミンによってベトナム青年革命同志会が生まれ,これを母体に30年ベトナム共産党が成立し,またグエン・タイ・ホクのベトナム国民党が生まれた。共産党は30‐31年のゲティン・ソビエトの壊滅によって一時打撃を受けたが,チャン・バン・ザオが南部の組織を再建し,タ・トゥ・タウらトロツキスト派と統一戦線を組んでサイゴン市会選挙などに進出した。しかし38年に大弾圧を受け,地下に潜った。…

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