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ハノイ Ha Noi

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ハノイ
Ha Noi

ベトナムの首都。ベトナム北部,ホン川の肥沃なデルタ地帯(→ホン川デルタ)の中心部にあり,市街は河口から約 150km上流の右岸に広がる。熱帯季節風気候に属し,平均気温は最寒月(1月)17℃,最暖月(6月)24℃。年降水量は約 1800mmで,その大部分は 5~9月の雨季に降る。11月~3月は乾季であるが,2~3月は厚い雲に覆われ,霧雨が降ることが多い。古くからトンキン地方の中心地で,1010年に李朝の創始者李公蘊が首都に定めて以降,タンロン(昇竜)と呼ばれ,歴代王朝の首都として繁栄した。19世紀初め阮朝時代にフエへ遷都されたのち,1831年「二つの川の間の町」を意味する現在名に改称。1902年からはフランス領インドシナの総督府が置かれた。1945年9月の独立達成とともにベトナム民主共和国の首都となったが,1954年7月のジュネーブ協定により国土が南北に分断されて以降は北ベトナムの首都で,南北統一後,1976年ベトナム社会主義共和国が発足するとともにその首都となった。
ベトナムの政治,経済,文化の中心地であるが,近年特に工業都市としての発展が著しく,機械,電機,繊維,化学,皮革,食品などの工業が集中する。行政的にはホーチミン市ハイフォンとともに,省に属さない中央直轄市となっている。市街地区にはホアンキエム湖,一柱寺,バンミョウ(文廟)などの名所旧跡が多く,李朝時代の遺構であるタンロン‐ハノイ皇城中枢域は,2010年世界遺産の文化遺産に登録された。また植民地時代に植えられた街路樹がうっそうと茂り,全体として落ち着いた雰囲気をもつ。ハノイ大学,革命博物館,国立美術館なども立地する。近年人口の増加が著しく,南部から西部にかけての郊外地区の発展がめざましい。交通の中心地でもあり,放射状に延びる道路や鉄道により,ホーチミン市をはじめとする国内主要都市のほか,中国,ラオス方面とも結ばれる。市の北部に国際空港がある。人口 264万4536(2009)。

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百科事典マイペディアの解説

ハノイ

ベトナムの首都。漢字では河内。同国北部,ソンコイ川河口より約150km,トンキン・デルタの中心地。機械,自動車修理,繊維,皮革,醸造などの工業が行われ,大学(1956年創立),考古博物館,革命博物館などがある。
→関連項目トンキンベトナム

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世界大百科事典 第2版の解説

ハノイ【Hanoi】

ベトナムの首都。人口215万(1993)。ベトナム北部のトンキン・デルタの中央やや北寄りに位置する。中国語で河内と記されるように,ソンコイ川本流とその支流ドゥオン川に囲まれた地域に立地する。河口から約150km上流にあるが,標高は6mにすぎず,乾季にはトンキン湾の潮汐の影響がこの付近にまで及ぶ。ハノイでのソンコイ川の水位は低水時で2.5mほどであるが,増水期には11~12mにも及び,人々は絶えず築堤を行ってこれと対抗してきた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ハノイ
はのい
Hanoi

ベトナムの首都。同国北部のトンキン・デルタ中部、ソン・コイ川右岸のズオン川との合流点に位置する。人口139万6500(2003推計)。かつては城壁に囲まれた中国風の都であったが、フランス領時代に改造され、ホアンキエム湖(還剣湖、小湖)周辺にフランス風の町並みがつくられた。現在はベトナムの政治、経済、学術の中心地で、市街は拡大され、面積は2133平方キロメートルに及ぶ。中心部はホアンキエム、ハイバ、ドゥンダ、バディンの各地区に分かれ、それに郊外のタンチ、トゥリエム、ドンアン、ザラーム、バビなど11地区が加わる。
 中心部にはタイ湖(西湖)の近くにホー・チ・ミン廟(びょう)をはじめバーディン広場、政庁、一柱寺(1049建立)があり、またホアンキエム湖付近には玉山寺(小湖の中央の島にある)、1070年李(り)聖宗が建立した文廟、ベトナム独立の英雄チュン姉妹の廟(円明寺、1142建立)などの歴史的遺跡が多い。中心部を取り巻く新市部は、住宅・工場地区となっている。工業では化学、建設、農具などのほか、自転車、たばこ工業が盛んである。交通は、国道1号線が南下してホー・チ・ミン市へ延び、北はハジャンから中国、西はラオスに通じる。鉄道は南はホー・チ・ミン市、北西は中国の昆明(こんめい/クンミン)、北東は友誼関(ゆうぎかん/ユーイーコワン)に通じる。市街の北方約40キロメートルにノイバイ国際空港がある。[菊池一雅]

歴史

ベトナム古代王国の都や竜編(りゅうへん)など漢代以降の中国属領期の交趾(こうち)や交州の治所はすべてハノイ市の近郊にあったが、3世紀末、晋(しん)が竜編城を市の西部、トーリック川沿いに移して、新城を大羅(たいら)城とよび、隋(ずい)がここを交州の治所宋平としたのが政治都市ハノイの起源で、唐も大羅城に都護府(とごふ)を置いた。11世紀に李朝(リイ朝)が大羅城を外城とする昇竜城を築いて昇竜(タンロン)を都に定め、陳朝(チャン朝)、黎(れい)朝(レ朝)ともにこれを引き継いだが、陳朝では中京、陳朝を簒奪(さんだつ)してタインホアの西都に遷都した胡(こ)朝(ホ朝)では東都とも称し、胡氏を滅ぼしてベトナムを侵略した明(みん)は昇竜城を東関城と改称した。黎朝では東都と東関城の名のほか中都、奉天城とよばれたが、トンキンの呼称の起源である東京(ドンキン)が正式の名となった。同時に職種によって住み分けられるギルドの町として発展した城下は普通名詞「みやこ(ケ・チヨー)」でよばれたが、昇竜は中世後期から近世にかけて政治・文化の中心であるとともに北河(北部)最大の交易都市として栄えた。黎朝末に清(しん)国軍による侵略を被ったが、これを撃退した西山(タイソン)政権でも北部の軍事・行政を管轄する最重要都市としてその北平王の居城とした。19世紀初頭に成立し、フエ(ユエ)に遷都した阮(げん)朝(グエン朝)は昇竜を昇隆の文字にかえるとともに、北城総鎮を置く特別都市とした。阮朝の明命(ミンマン)期に地方行政を省に区分したとき、紅河とその支流に囲まれた地方が河内(ハノイ)省となり、昇隆はその省会ハノイとなった。
 ハノイは19世紀後半に始まるフランスの侵略の過程で1873年と82年にフランス軍に占領され、そのたびに締結された条約でベトナムの植民地化が進み、84年に北部は保護領トンキンとなってハノイはその首都に定められ、ついでフランス領インドシナが成立するとその総督府の所在地となり、さらにフランス領直轄都市となった。1945年に独立したベトナム民主共和国はハノイを首都に定め、フランスの再侵略でこれを一時放棄したが、54年に奪回し、ジュネーブ協定による南北分裂期も全土の首都を称した。76年南北の統一かなったベトナム社会主義共和国成立後、改めてベトナムの首都となる。[川本邦衛]

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