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ディオニュシオス[1世] ディオニュシオス

百科事典マイペディアの解説

ディオニュシオス[1世]【ディオニュシオス】

シュラクサイ(シラクザ)の僭主。平民階級を利用し,前405年以後権力を得てシチリア全島に支配勢力を伸ばした。カルタゴ勢力と対抗してその東進をはばみ,南イタリアにも進出し,植民市を建設。
→関連項目僭主ダモクレス

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世界大百科事典 第2版の解説

ディオニュシオス[1世]【Dionysios I】

前430ころ‐前367
シラクサの僭主。在位,前405‐前367年。前405年に全権将軍に選出され,護衛兵設置を認められて僭主への決定的な一歩を踏み出す。この年内乱に直面して交戦中のカルタゴと不利な条件で和約を結ぶと,奴隷を解放しまた傭兵を集めて新市民とし,自己の軍事力を強化させた。この後シチリア各地に勢力を拡大し,前398年にカルタゴと戦闘を始めて前392年の和約でその支配圏を大幅に拡大した。また南イタリアにも進出して自己の勢力下におさめた。

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世界大百科事典内のディオニュシオス[1世]の言及

【シチリア[島]】より

…その後一時民主政が興ったが根付かず,前5世紀末の前後2回にわたるアテナイ軍遠征の失敗とカルタゴの侵入はシチリアにおける内紛を再燃させ,その収拾の過程で再び僭主政が興った。シラクサを中心として,ディオニュシオス1世ディオニュシオス2世アガトクレスらの僭主が出現した。この間,前4世紀前半に哲人王を理想としたプラトンが3度シラクサを訪れたことは有名である。…

【シラクザ】より

…前5世紀後半にほぼシチリア全島と南イタリアの一部を勢力下に収めたシラクサは,ギリシア世界の盟主アテナイと衝突するまでになり,その壮烈な戦いはトゥキュディデスの作品にみごとに描かれている。僭主の典型といわれるディオニュシオス1世は38年間権力の座にあり,古代ギリシアの歴史家ディオドロスは〈史上最強で最長の僭主〉と述べ,アリストテレスは,民衆扇動により権力を掌握した人物の典型として何度も引用している。ついでディオニュシオス2世,陶工の息子から権力を握ったアガトクレスと僭主がつづき,ヒエロン2世の支配となる。…

【ダモクレス】より

…前5~前4世紀の人で,シラクサの僭主ディオニュシオス1世の廷臣。生没年不詳。…

【ディオン】より

…シラクサの有力な政治家。ディオニュシオス1世の義弟で義理の息子。前389年にシチリアを訪れた哲学者プラトンの教えに傾倒し,1世の死後その後を継いだディオニュシオス2世を〈哲人王〉とすべく試みるが失敗してアテナイに亡命。…

※「ディオニュシオス[1世]」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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