ドルーリー・レーン劇場(読み)どるーりーれーんげきじょう

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ドルーリー・レーン劇場
どるーりーれーんげきじょう
Drury Lane Theatre

イギリスでもっとも長い伝統のある劇場。ロンドンの劇場街ウェスト・エンドにある。名称は16世紀にこの地にあった大邸宅に由来する町名からきている。1663年開場。一度解体、二度焼失後、1812年に新築された第四次の劇場が現在に及んでいる。近隣のコベント・ガーデン王立歌劇場とともに、開場以来1843年まで勅許劇場として演劇上演の独占権をもち、デイビッド・ギャリック、ジョン・フィリップ・ケンブルとその姉シドンズ夫人、エドマンド・キーンなど数多くの名優の舞台となった。その後は、スペクタクル的演出とメロドラマに新生面を開拓、1920年代からはミュージカル専用劇場として新しい地歩を築くことになった。[中野里皓史・大場建治]
『大場建治著『ロンドンの劇場』(1975・研究社出版)』

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世界大百科事典内のドルーリー・レーン劇場の言及

【イギリス演劇】より

…イギリス演劇は,カトリック教会で復活祭やクリスマスに行われた典礼劇に始まる。これは聖書の事跡をラテン語の簡単な対話に仕立て,僧侶が唱したもので,素朴ではあっても他者を演ずるという行為を含む点でミサとは異なっていた。最古の記録は10世紀にさかのぼるが,その後しだいに内容が複雑化し,上演場所も教会内部から教会の庭へ,次いで町の広場へと移った。用語は英語となり,演者も聖職者から俗人に変わった。こうして成立したのが奇跡劇である。…

【ギャリック】より

…イギリスの俳優,劇作家。1741年,シェークスピアの《リチャード3世》の主役を演じて一躍人気を得,その後ハムレット,マクベス,ロミオ,リア王など,シェークスピア悲劇の人物の表現では当代最高と評される一方,喜劇でも実力を発揮した。彼はそれまでのおおぎょうで型にはまった演技に代わって,自然で細緻な演技を尊重し,イギリスにおける近代的演技術の創始者となった。ロンドンの代表的劇場ドルーリー・レーンの支配人を,47年から76年の引退まで務める。…

【劇場】より

…その際おおぜいの人間が一度に集まってくる劇場が,都市の悪の温床としてまっさきに改造の対象とされたことはいうまでもない。 イギリスにおける〈近代劇場〉の祖と見なされる第2次ドルーリー・レーン劇場(1674開場)は,1665‐66年のペスト流行と大火災につづくロンドン改造計画のなかで建設されている。エリザベス朝の木造・円形の公衆劇場とは対照的な石造・長方形の建造物であった。…

【国立劇場】より

…国家の文化政策,そしてそれに基づいての国家財政あるいは財政的援助によって,創設・管理・運営される劇場を中心にした演劇組織。多くの場合に,上演場所としての劇場と上演集団たる劇団そのほかが,一体のものとしてともに組織され,運営される。したがって,その劇団と劇場の両方が,総称としての同じ一つの名前(西欧のものが日本語に訳された場合には〈○○劇場〉などの名称)で呼ばれることが多い。
【ヨーロッパ】
 西欧における国立劇場の歴史は古く,その多くはいわゆる〈宮廷劇場〉の系譜に連なり,また重なるものとしてあるが,国家が経済・芸術上の管理・運営の責任者=パトロンとなった屋内ホールの国立劇場の嚆矢(こうし)は,1680年パリに誕生した〈コメディ・フランセーズ〉である。…

【シェリダン】より

…イギリスの劇作家,政治家。アイルランドのダブリン生れ。滑稽な恋愛騒動を描いた喜劇《恋敵》(1775)によって若くして劇壇に登場。社交界の偽善を批判した喜劇《悪口学校》(1777)で好評を得た。これらはイギリス風習喜劇の伝統を代表する傑作である。他の作品には,喜歌劇《付添婦人》(1775),J.バンブラーの風習喜劇を改作した《スカーバラへの旅》(1777),荒唐無稽な英雄悲劇を風刺したバーレスク劇《批評家》(1779)などがあるが,青年期以後のシェリダンは事実上劇作をやめてしまう。…

※「ドルーリー・レーン劇場」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報

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