キーン(読み)きーん(英語表記)Edmund Kean

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「キーン」の意味・わかりやすい解説

キーン
Keene, Donald

[生]1922.6.18. アメリカ合衆国ニューヨーク,ニューヨーク
[没]2019.2.24. 東京,台東
アメリカ合衆国生まれの日本文学研究家。コロンビア大学でフランス文学,東洋文学を専攻し,太平洋戦争が始まると海軍の日本語学校に入り,情報部門の軍務につく。戦後,ハーバード大学,コロンビア大学の大学院で本格的に日本文学の研究に取り組む。1948年からケンブリッジ大学に招かれ教鞭をとるとともに,『日本人の西洋発見』(1952),『日本の文学』(1952),『日本文学選集』(1955)などを著し,日本文学に対する国際的評価を高めた。その後,コロンビア大学で教授を務めるかたわら,半年は日本で暮らす二重生活を送った。『万葉集』『源氏物語』,近松門左衛門から,谷崎潤一郎太宰治三島由紀夫などの現代作家まで,また謡曲,詩歌,日記と,あらゆるジャンルに精通している。ライフワークとなった『日本文学の歴史』(18巻,1994)をはじめ,『日本の作家』(1972),『百代の過客──日記に見る日本人』(1984)など著書・翻訳書は多数。日本語で書き下ろし,日本語での講演も行なう。1986年,コロンビア大学にドナルド・キーン日本文化センターを設立。2002年に文化功労者,2008年には文化勲章を受章。2011年3月の東北地方太平洋沖地震を経て日本への帰化申請を表明。2012年3月,日本国籍を取得。帰化後の氏名はキーンドナルド。雅号は鬼怒鳴門。

キーン
Kean, Edmund

[生]1789.3.17? ロンドン
[没]1833.5.15. サリー,リッチモンド
イギリスの俳優。公式の出生記録がなく,旅芸人の私生子ともいわれ,その謎に包まれた出生と自殺をはかったこともある不幸なおいたち,その後の数奇な生涯は,激烈な気性とともに,さまざまな伝説を生んだ。 1814年ドルアリー・レーン劇場のシャイロックの演技により,一介の旅役者から一躍名声を確立。好敵手であった名優 J.ケンブルの典雅,繊細さには欠けるが,迫力と情熱にあふれた個性的な演技で観客を魅了した。オセロイアーゴー,マクベス,リチャード3世など,強烈な性格描写を得意とし,H.アービング,D.ガリックとともに,イギリス三大悲劇俳優と称された。 J.-P.サルトルの戯曲『キーン』 (1953) は,彼の生活を題材にしたもの。

キーン
Keene, Laura

[生]1820頃.ロンドン
[没]1873.11.4. ニュージャージー,モントクレア
イギリスの女優でアメリカ最初の女性劇場経営者。本名は Mary Moss。マダムベストリスの弟子であったが,アメリカの劇場主 J.W.ウォラックに見出され,1851年にアメリカに渡った。ニューヨーク,ボルティモアサンフランシスコオーストラリアなどの劇場の経営をしたのち,55年再びニューヨークに戻り,自身の劇場を開設。また女優としてはイギリスの古典喜劇の貴婦人役や,メロドラマの哀愁に満ちた女主人公を得意とした。

キーン
Keene, Charles Samuel

[生]1823.8.10. ホーンジー
[没]1891.1.4. ロンドン
イギリスの画家,風刺漫画家。初期には木版画家として『ロビンソン・クルーソー』の挿絵を制作。 1851年から週刊『パンチ』誌にカリカチュアを発表,9年間休まず続けられた。彼の風刺画はデリケートで控え目であり,インクの濃淡の階調によって描くモノクロームの絵画も独特のもの。本の版画挿絵も多く手がけ,また水彩画も描いているが,素描画が最も重要であり油彩画の作例は少い。

キーン
Keen, William Williams

[生]1837.1.19. フィラデルフィア
[没]1932.6.7. フィラデルフィア
アメリカの脳外科の先駆者。 1866年,母校ジェファーソン医科大学の病理学講師となり,次いで外科教授 (1889~1907) 。 88年に脳腫瘍 (髄膜腫) の除去,89年に脳室の切開に成功,直線的開頭術を開発して,キーン式手術と呼ばれた。 99年にアメリカ外科医師会,1900年にアメリカ医師会の会長になった。

キーン
Kean, Charles John

[生]1811.1.18. アイルランド,ウォーターフォード
[没]1868.1.22. ロンドン
イギリスの俳優。名優 E.キーンの子。舞台のみならず,ロンドンのプリンセス劇場の経営にも乗出し,また歴史考証の正確さを期する演出にも手腕を発揮,マイニンゲン劇場に影響を与えた。

キーン
Kean, Ellen

[生]1805.12. アイルランド
[没]1880.8.20. ロンドン
イギリスの女優。旧姓 Tree。『十二夜』のオリビア,『ロミオとジュリエット』など,シェークスピアの作品に出演した。 1842年 C.J.キーンと結婚し,多くの舞台で共演。

キーン
Keene

アメリカ合衆国,ニューハンプシャー州南西部,アシュウィロット川に沿う都市。 1733年現在地の上流に入植したが,インディアンと対立し,53年現地点に移転。モナドノック地方の商業の中心で,光学器具,家具,繊維など種々の工業が立地。ウインタースポーツの中心地としてもにぎわう。人口2万 2430 (1990) 。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「キーン」の意味・わかりやすい解説

キーン(Edmund Kean)
きーん
Edmund Kean
(1787/89―1833)

イギリスの俳優。芸人の血筋を引いて下層社会に生まれ、のちにイギリス演劇史上もっとも情熱的で天才的な役者と評された悲劇俳優。その生い立ちは伝説に満ち、正確な伝記は確定されていない。彼を一躍有名にしたのは、1814年1月26日ドルーリー・レーン劇場で演じた『ベニスの商人』のシャイロックで、その自然の感情に基づいた新鮮な演技が観衆の心を打った。容姿端麗な先輩の名優ケンブルが様式的な演技で善良な主人公を得意としたのと対照的に、小柄で声の悪いキーンは、リチャード3世、オセロ、バラバスなど、悪役あるいは情念にもてあそばれる人物の造形に真価を発揮した。息子チャールズのイアゴーを相手にオセロを演じているときに倒れ、1か月半ほどのちの33年5月15日死去。批評家のハズリットやラムの文章に天才をうたわれ、大デュマの『キーン』(1836)やサルトルの『狂気と天才』(1954)などの戯曲の素材ともなった。

[中野里皓史]

『大場建治著『英国俳優物語――エドマンド・キーン伝』(1984・晶文社)』

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