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劇場 げきじょう theatre

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

劇場
げきじょう
theatre

最も原始的な形態では,神に捧げるための歌舞が演じられた自然の空間。演劇の上演のための建造物が生れたのは,ヨーロッパでは古代ギリシア野外劇場からである。ローマ時代はほぼギリシアと同様であるが,中世演劇は教会や街頭などで演じられた。

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デジタル大辞泉の解説

げき‐じょう〔‐ヂヤウ〕【劇場】

演劇・映画・舞踊などを観客に見せるための建物。「円形劇場」「国立劇場

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百科事典マイペディアの解説

劇場【げきじょう】

演劇の場の総称。一般には演劇・映画の興行の場として舞台と客席からなる建造物。野外と屋内ともに,大きく二つの形態がある。舞台を客席が囲むものと,舞台と客席とが相対するものである。
→関連項目演劇野外劇

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世界大百科事典 第2版の解説

げきじょう【劇場 theater】

演劇あるいはこれに類する技芸を上演する建物で,大きく分けて演ずる場である舞台と,それを享受する観客席から成る。演劇の場としての劇場の空間構成には,屋外,室内の別を問わず,大別して二つの形態が認められる。すなわち主たる演技空間(舞台)を観客席が取り囲む形のものと,演技空間と観客席が相対するものとである。演劇は原初的には神事,祭事から発生したので,最初期の劇場は必然的に演技空間中心の前者に近い形態をとったと考えられる。

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大辞林 第三版の解説

げきじょう【劇場】

演劇・映画などを上演・観覧するための建物。 「昨日は舞場、今日は-/花柳春話 純一郎」 〔幕末期の訳語〕

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

劇場
げきじょう

演劇、舞踊、オペラなどを上演し、多数の観客が集まってこれを観覧するための施設。西欧各国の劇場をさすことばのもととなったのは、古代ギリシア劇場の階段状の観客席をさすテアトロンtheatronである。英語のシアターtheatre, theater、フランス語のテアートルthtre、ドイツ語のテアーターTheater、イタリア語のテアトロteatroなどはすべてこのギリシア語に由来するもので、劇場という意味から、さらに演劇そのものをもさして用いられる。[横山 正]

欧米の劇場

ヨーロッパの劇場の源流は古代ギリシアおよび古代ローマの劇場にある。いずれの文化においてもそうであったように、原初の演劇は祭祀(さいし)と分かちがたく結び付いており、古代ギリシアの劇場はディオニソス神祭祀にかかわる場として聖域に建てられた。アテナイのそれがアクロポリスの麓(ふもと)に営まれたのはその一例である。ギリシアの劇場の構成は、初め、コロス(合唱団)の演技する円形の平土間(オルケストラorchestra)を階段状の観客席(テアトロン)が囲むものであった。しかし、ドラマとしての構成が進み、コロスのなかから俳優が独立するにしたがい、舞台正面のスケネskeneとよばれる建物が楽屋となり、さらにその前の細長い歩廊のプロスケニオンproskenionが俳優の演技の場として用いられ、スケネの壁面がいわば舞台の背景を形づくるようになった。遺構の現存するもののなかでギリシア劇場の姿をもっともよく伝えるエピダウロスの劇場(前4世紀)は、すでにこの形態を示している。
 古代ローマの劇場はこのギリシア劇場の形式の発展であるが、オルケストラが半円形になって観客席が舞台に相対する度合いがさらに強まったほか、舞台に木造の屋根がかけられたのが特徴であった。観客席に布製の日よけがかけられることもあったようである。しかし最大の変化は、ローマ人が連続アーチを重ねる架構を応用したことで、これによって劇場は、丘の斜面を離れて平地に自由に建てられるようになり、演劇の祭祀からの自立と相まって、古代ローマでもっともポピュラーな公共建築の一つとなった。ローマ劇場の遺跡は今日ヨーロッパの各地にみることができる。
 中世における演劇活動の活発化は、おそらく10~12世紀の中世都市の勃興(ぼっこう)と軌を一にしていると思われる。しかし、固定した劇場建築の存在を裏づける資料は発見できない。中世において盛んに行われた受難劇などの上演は、木造の仮設舞台を聖堂前の広場や中央広場にいくつも並べる形か、あるいは山車(だし)式の移動舞台によって行われた。仮設の舞台は古代ギリシアの旅役者によってもすでに使用されており、ルネサンス以後も劇場建築とは別に、祝祭のページェント、旅役者の興行の場として、演劇の原初的な感動をよみがえらせる存在であり続けた。
 劇場建築の再興は、ルネサンス期の古代劇上演と、それに伴う古代劇場再現への模索に始まった。人文主義者たちによるその上演は、まずは宮廷の広間や庭園に仮の舞台を設けてのものであり、やがて宮廷あるいは当時西欧各地に生まれつつあったアカデミーのための恒久的な劇場の創設へと向かった。この間の重要なできごとは、透視図法の開発とその研究の進展で、これは背景画の発達、さらには消点をすこしずつずらせた書割を幾枚も重ねて見せる技法など、舞台空間の展開に大きな影響を与えた。なかでも16世紀前半のイタリアの建築家S・セルリオが、紀元前1世紀のローマの建築家ウィトルウィウスの記述に従ってその『建築書』に載せた、喜劇・悲劇・サティロス劇3種用の舞台背景図は、とくに人々の広く知るところとなり、その影響も大きかった。前二者は王宮や神殿、あるいは町屋と、いずれも建築や市街を描くものであったが、サティロス劇用のものは自然の森を描いており、これは当時愛好された牧歌劇のかっこうの背景となるものであった。
 16世紀イタリアの恒久的な劇場施設として現存する最古のものは、建築家A・パッラディオの設計になるビチェンツァのアカデミーの劇場、オリンピコ座(1584竣工)である。これは市街風景をバックにした奥行の浅い舞台に半楕円(だえん)形の観客席が相対する、古代ローマ劇場の形式に倣った構成であった。ここでは舞台背面の街路が、錯視の利用で実際よりもはるかに深く見えるように仕組まれているのが興味深いが、この種の仕掛けは多かれ少なかれこの時代の舞台構成に見られるものであった。ただ16世紀のイタリアの劇場建築の主流は、オリンピコ座のような形式のものではなく、テアトロ・ダ・サーラとよばれる、広い矩形(くけい)のホールの短辺に舞台がとられ、他の3辺に観客席のとられる形式のもので、中央の平土間が主たる演技空間であった。パラディオの弟子のスカモッツィが1588年にデザインしたサビオネタの劇場は、この形式と古代劇場風の形式とを折衷したものであり、17世紀初頭、この流れからプロセニアム・アーチproscenium archが舞台を観客席の空間からくぎり取る様式が生まれた。その最初の例は、G・B・アレオッティが1617年、パルマ公ラヌッチョ1世の命によって建造に着手したファルネーゼ座である。平土間を囲んでU字形をなす観客席に相対する舞台は奥行を増し、いまだ宮廷劇場の形式を踏襲しながらも、プロセニアム・アーチの額縁の中での演技を鑑賞する近代の劇場の形式(いわゆる額縁舞台)が生まれたのである。袖(そで)書割を両袖に幾層も重ねて奥行を強調するこの形式は、17世紀のなかばまでにアルプス北方の諸国にももたらされた。
 一方この時代に、宮廷以外の場所での上演形式が固定化していく傾向もみられた。たとえばエリザベス朝イギリスのスワン座やグローブ劇場(グローブ座)は、何層にも重なる観客席に向かって突出した舞台をつくり、さらに高舞台も使用しての立体的な演出も行われたようである。これは旅籠(はたご)屋の中庭につくられた仮設舞台に遠源をもつものと思われるが、科学史家F・イェーツは、これらが円環に収まる平面構成をもっていることから、それを古代ローマの建築家ウィトルウィウスの『建築書』の影響下の創案とする説をたてている。続く17世紀の重要な動向は、ベネチアを中心とする大衆劇場の成立である。これは貴族がその収入源として営んだもので、プロセニアム・アーチの舞台に相対する平土間の観客席の周囲を数層の桟敷(さじき)席が囲む形につくられていた。このよく保存された例が、当時ベネチア領だったクロアチアのフバールに残っている(1612竣工)。これは以後のヨーロッパの劇場の主流をなす形式の先鞭(せんべん)をつけたものであった。すなわち、18世紀なかばまでには、プロセニアム・アーチに限られた奥行の深い舞台の前にオーケストラ・ボックスを置き、床勾配(こうばい)のある平土間の観客席と、それを囲む馬蹄(ばてい)形の幾層にも積み重なった桟敷席という基本形式が完成する。これはイタリアでまず開発されたが、オペラの隆盛とともに、従来の矩形や半円形の劇場にとってかわり、19世紀のなかばまでにはヨーロッパの大都市にこの形式による大オペラ・ハウスが建ちそろうようになる。ミラノのスカラ座(1778)、ベネチアのフェニーチェ座(1792)、ロンドンのロイヤル・オペラハウス(1849)、ウィーンの国立歌劇場(1869)などがその例であり、シャルル・ガルニエ設計のパリのオペラ座(1875竣工)は、時代的にはすこし遅れながらも、その豪華さによってこれらの頂点にたつ存在となった。こうしたオペラ・ハウスにおいては、ホワイエやラウンジなど、談笑や休息のための空間に観客席に劣らぬ広大な空間が割かれて、劇場は観劇と同時に社交の場ともなった。
 こうした劇場構成の一般的な傾向に対して、近代的な視点から改革を図ったのが、建築家G・ゼンパーと作曲家R・ワーグナーである。彼らはバイロイトの祝祭劇場(1876竣工)の設計において、オーケストラ席を舞台前面下部の一段低いところに落とし込んで観客の視線を遮らないようにし、一方、馬蹄形の座席構成を廃して1層の観客席を半円形に並べ、観客席が舞台に相対してどの席も音響的、視覚的に不便のないようにした。これはワーグナーの楽劇上演にふさわしい空間創造の試みであったが、また一方、19世紀初め以来の演技鑑賞を十全に行える劇場構成を求めての科学的探求の流れにもつながるものであった。しかし、視線や音の届きぐあいを考慮して、どの座席からも平等に舞台が眺められるように設計されたその後の劇場では、客席のほとんどが舞台と向き合う形をとり、プロセニアムの採用後も馬蹄形、半円形の観客席の劇場にはまだ残されていた劇場空間の一体感は、しだいに失われていった。
 こうした傾向への反省から、プロセニアムを廃し、舞台と観客席を単一の空間の中に包み込む原初的な劇場形式に戻ろうとする動きが現れる。もちろんこれは演劇のあり方そのもののとらえ直しに基づくもので、すでに19世紀なかばにも試みられた例があるが、20世紀に入ってさまざまな実験が盛んに試みられるようになり、そうした形式の劇場も多数つくられている。エリザベス朝の劇場形式の復原は20世紀初頭以来しばしば試みられており、これはプロセニアムを廃して演技空間が観客席の中に張り出すオープン・ステージの思想へとつながった。演技を単一方向からのみ鑑賞する形式をやめ、演技空間を観客席が取り囲むようにして、演劇本来の祝祭的な性格を復活させようとする試みも盛んに行われており、アメリカのワシントン大学のG・ヒューズの提唱した円形劇場運動(1932以降)は、矩形の演技空間を観客席が取り囲み、これに4本の花道がつく構成を生み出した。ドイツ出身の建築家グロピウスによる全体劇場のプロジェクト(1927)をはじめとして、この種の計画には、演技空間と観客席とを適宜入れ替えて、内部構成をそのつど転換できるようにしたものも多い。日本の1970年代に生まれたテント形式による上演も、こうした演劇空間の一体化を求める運動の一つに数えることができよう。[横山 正]

東洋および日本の劇場

インドの劇場については、3世紀ごろの編纂(へんさん)と考えられる『ナーティヤ・シャーストラ』に、古代の聖域内につくられた劇場についての記述があり、3世紀には独立した劇場建築が建てられていたことが記されている。ここでは、舞台のすぐ背後が楽屋になり、その壁面に登退場口がとられて横引きの絵幕がかかっていたという。舞台背面は絵やレリーフで飾られていたらしい。観客席は当然、カーストによって区分されていた。
 中国の劇場的な空間について具体的な記述がみられる最古の例は、後漢(ごかん)(1世紀)の文献だが、すでに5世紀までには、種々の大道具、舞台装置がつくられていたらしい。隋(ずい)代(7世紀)には戯場の名が文献にみえ、そこでの演技を棚(桟敷席)から見ることが記されている。唐代にも宮廷の室内劇場はあったが、いわゆる劇場形式がとくに発達したのは、13世紀の南宋(なんそう)から元(げん)にかけてであり、宮廷および民間の常設の劇場形式が完成した。また元代から明(みん)代にかけては、道教の廟(びょう)や観の前にも戯台(舞台)がかならず設けられている。これらの戯台は原則として吹き放ちの空間で、その背後に楽屋にあたるスペースがあって、人々はその前面広場から鑑賞した。明・清(しん)の宮廷劇場においても、戯台のある戯楼の前部は中庭に面し、庭を隔てて看戯殿がある構成であった。戯楼は3層で、神仙物の上演の際などには、これを立体的に使うこともあったようである。
 日本においても神事の際用いられる舞楽のための屋外舞台は早くから発達していたが、芸能のための劇場空間の確立は鎌倉後期以降ということになろう。室町初期の1349年(正平4・貞和5)田楽(でんがく)の新座と本座が京の四条河原で行った勧進(かんじん)田楽においては、観客空間に舞台が突出し、さらにその周囲を円形に桟敷席が取り巻いている。舞台背後に二つ並んだ楽屋からは反(そ)り橋状の橋掛(はしがかり)がそれぞれ斜めに出て、中央の舞台に達している。この橋掛は機能的には楽屋と舞台を結ぶ通路だが、おそらくその長さゆえに、その途上での所作が生じ、その結果、能舞台においては、これが演技空間の一部をなすまでに至った。これは歌舞伎(かぶき)劇場の花道ともども、日本の伝統的な劇場空間の一つの特徴で、西欧近代の実験的な上演などに取り入れられている。
 能舞台形式の確立は安土(あづち)桃山時代と考えられるが、これに対して江戸初期には歌舞伎の常設劇場の成立をみる。その初期のものにはまだ能舞台に近い様式がみられたが、橋掛は圧縮され、通路というよりは主舞台に添った副次的な演技空間となっていた。1664年(寛文4)にはこれまで日本の舞台空間にはなかった引幕が初めて用いられ、元禄(げんろく)期(1688~1704)までにははっきりと舞台の正面性が意識されて、舞台と観客席が向かい合う形式が明確になっている。また寛文(かんぶん)年間(1661~73)には本舞台前面の付(つけ)舞台から観客席の中を突っ切って花道が延ばされて、今日の歌舞伎劇場の姿に近くなる。この花道の使用は初めは仮設のもの(花板(はないた))で、観客がひいき役者に贈り物をするための通路であった。歌舞伎劇場の特色は大道具の開発とさまざまな仕掛けの機構の発明にあり、1753年(宝暦3)のせり上げ装置、1758年の回り舞台の創始は、大坂道頓堀(どうとんぼり)の並木正三(しょうざ)の考案によると伝える。そのほかの大掛りな仕掛け機構もほとんど、続く20、30年間に開発されている。
 日本にプロセニアム型の劇場形式が本格的に導入されたのは、1911年(明治44)竣工の帝国劇場であるが、これはヨーロッパの旧来の劇場を写したものであった。これに対してヨーロッパの新しい劇場の様式を移入しようとしたのが、1924年(大正13)竣工の築地(つきじ)小劇場で、曲面のクッペル・ホリゾントなど新しい設備が目だったが、いずれも現存しない。[横山 正]

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世界大百科事典内の劇場の言及

【演劇】より

… 演劇という語を用いるに際して,ヨーロッパ語による概念を前提としていたとすれば,そのヨーロッパ語は何であり,またどのような他の単語と対比されるのか。多くの辞典が一致して述べているように,〈演劇〉はほぼ英語theatre(シアター),フランス語théâtre(テアートル),ドイツ語Theater(テアーター)の訳語に当たる。いずれも〈見物する場所〉を意味するギリシア語theatron(テアトロン)に発して,部分で全体を表すことにより演劇の意となる。…

【イギリス演劇】より

…シェークスピアが属していた内大臣一座Lord Chamberlain’s Men(1594発足)はその一つである。劇の上演は貴族の館や旅館の中庭でも行われたが,1576年にジェームズ・バーベッジがロンドン郊外にイギリス最初の劇場シアター座を建設し,続いてグローブ座など多くの劇場が建てられるにいたって,興行の商業化はいっそう進んだ。劇場はいずれも屋根をもたず,幕のない舞台が平土間に張り出し,数層の客席が平土間を囲むという構造をもっていた。…

【円形劇場】より

…観客席が演技空間をとり囲むという構造をもった劇場。ただし,客席が舞台を完全に囲んでいなくても,近代の多くの劇場のように両者が明瞭に分離していない場合は,円形劇場に準じて考えてよい。…

【演劇】より

…いずれも〈見物する場所〉を意味するギリシア語theatron(テアトロン)に発して,部分で全体を表すことにより演劇の意となる。しかし各国語の間で意味の広がりは異なって,〈見物席〉が〈劇場〉となるのはどの国語も同じであるが,この語が同時に〈劇場〉と〈舞台表現の総体〉と〈一作家の戯曲の総体〉を指しうるのはフランス語においてである。また,ギリシア語語源からすればテアトロンと並んで重要であり,同じく部分で全体を表すことになるギリシア語drama(ドラマ。…

【歌舞伎】より

…劇の進行に時間的な飛躍を示す記号としての引幕が用いられるようになり,複雑な筋の展開を可能にした。劇場が整備され,役者の数が増加し,見物の層が広がった。野郎評判記が出版されるが,当初の容色本位の野郎賛仰からしだいにその技芸をも評判するようになり,役者評判記の性格を濃くしていく。…

【ギリシア美術】より

ヘレニズム美術【松島 道也】
【建築】
 古代ギリシア都市は上市,要塞,聖域などの機能をもつアクロポリスと,その裾にひろがる下町から成っており,下町には民会,市場,各種の催しが行われる公共広場(アゴラ)を中心に,市民の住宅が立ち並んでいた。議会,行政,司法などの公共施設はアゴラの周囲に並設されるのが普通であるが,適度な斜面を必要とする劇場や,大面積を必要とする競技場や教育・体育施設などはアゴラから離れ,ときには市外に建てられることも多かった。町全体は市城壁で囲まれていた。…

【劇団】より

…俳優を主体にして,そのほか演劇上演に必要な人々が集まり,上演という共通目的のためにそれぞれの職能において協力しながら,組織的かつ持続的に上演活動をおこなう団体のこと。なお,〈劇場〉という言葉も,とくに〈○○劇場〉のような形で,〈劇団〉と同じ意味に用いられるが,その多くの場合は,ある演劇集団の活動が密接に特定の劇場空間と結びついていて,自然にあるいは意図的に同じ名前で呼ばれた場合である。ある意味ではそのような結びつきの強いことがむしろ当然であるから,実際,以下に述べるようにその例は数多い。…

【舞台美術】より

…このような打合せを経過しながら,舞台美術家は舞台装置や舞台衣裳,小道具などをデザインしていく。舞台装置図,平面図,衣裳スケッチ,小道具製作図面,模型舞台などができ上がると,それに基づいてそれぞれの製作会社や工房で実際に仕上げられ,公演の予定に合わせて劇場に搬入される。いよいよ舞台稽古である。…

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