ドージャの反乱(読み)ドージャのはんらん(その他表記)Dózsa Rebellion

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ドージャの反乱」の意味・わかりやすい解説

ドージャの反乱
ドージャのはんらん
Dózsa Rebellion

ハンガリーにおける 16世紀の農民一揆 (1514) 。王権の衰退とともに,貴族階級が勃興。貴族は行政を左右し,莫大な個人財産を取得,他方農民はその重圧のもとに貧窮した。 1514年4月 16日,オスマン帝国に対する十字軍が提唱され,10万余の農民が徴集されたが,5月 23日計画が中止になった。しかし農民は手にした武器を離さず,ドージャ・ジェルジの指揮下に貴族に対する反乱に立上がった。数百軒の館が焼払われ,数千人の貴族が殺され,一時はブダ (現ブダペスト) も脅かされるにいたったが,同年 10月,トランシルバニア侯サーポヤイヤーノシュ (のちのハンガリー王) によってテメシュバール (現ルーマニアのティミショアラ) で鎮圧された。ドージャは捕えられて死刑に処せられ,貴族議会は農民に対する罰として以前に倍する過酷な賦役を課し,その自由をまったく奪った。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む