ハンクアーロン(英語表記)Hank Aaron

現代外国人名録2016 「ハンクアーロン」の解説

ハンク アーロン
Hank Aaron

職業・肩書
元大リーグ選手

国籍
米国

生年月日
1934年2月5日

出生地
アラバマ州モービル

本名
Aaron,Henry Louis(アーロン,ヘンリー・ルイス)

勲章褒章
米国大統領市民勲章〔2001年〕, 旭日小綬章(日本)〔2015年〕

受賞
MVP(ナリーグ)〔1957年〕

経歴
15歳でアフリカ系のセミプロチーム入り。1952年ブレーブスのファームに入り、’54年メジャーに昇格。’57年MVPを獲得し、世界一に。地味な選手だったが、着実に本塁打を積み重ね、’70年代初め頃からベーブ・ルースの通算714本塁打記録を脅かす存在となっていった。’73年39歳で8度目の年間40本塁打をマークし、ルースの記録にあと1本と迫る。’74年の開幕戦でルースと並び、4月8日対ドジャース戦でメジャー記録となる715号を放った。同年オフにブリュワーズに移籍。’76年限りで引退。メジャー23年間の通算成績は、3298試合出場、1万2364打数3771安打、755本塁打、2297打点、打率.305。MVP1回(’57年)、首位打者2回(’56年,’59年)、本塁打王4回(’57年,’63年,’66年,’67年)、打点王4回(’57年,’60年,’63年,’66年)、ゴールドグラブ賞3回(’58〜60年)、オールスター出場21回(’55〜75年)。現役時代は183センチ、82キロ。右投右打。左翼手。’76〜95年アトランタ・ブレーブス副社長として選手の育成に当たり、マイナーリーグの監督も務めた。’82年野球殿堂入り。’99年大リーグはア・ナ両リーグの年度最優秀打者に贈るアーロン賞を創設。2000年3月初めて日本で行われたメジャーリーグ開幕戦メッツ・カブス戦や2006年第1回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の決勝始球式に登場。球界におけるアフリカ系の地位向上や球界の発展にも尽力している。著書に「ハンク・アーロンのホームラン打法」(1975年)、共著に「ハンク・アーロン自伝」がある。2007年8月MLB記録の755本塁打が、バリー・ボンズによって31年ぶりに破られたが、6856塁打と2297打点は現在もMLB記録である。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

知恵蔵mini 「ハンクアーロン」の解説

ハンク・アーロン

米国の野球選手(外野手)。1934年2月5日、南部アラバマ州生まれ。54年にミルウォーキー(現アトランタ)・ブレーブスで大リーグデビュー。57年に本塁打44本を打ち、初めて本塁打王となる。次いで63年、66年(ともに本塁打44本)、67年(同39本)にもタイトルを獲得。引退する76年まで23年連続で2桁の本塁打を記録し、「世界のホームラン王」と称された。通算755本塁打は、2007年にバリー・ボンズに抜かれるまで歴代1位を誇った。通算2297打点、同6856塁打はともに歴代1位(20年シーズン現在)。82年に米国の野球殿堂入りを果たした。99年には、多彩な活躍をした打者をたたえるハンク・アーロン賞が設立され、ボンズも受賞している。2021年1月22日、86歳で死去した。

(2021-1-28)

出典 朝日新聞出版知恵蔵miniについて 情報

367日誕生日大事典 「ハンクアーロン」の解説

ハンク アーロン

生年月日:1934年2月5日
アメリカの元・大リーグ選手

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハンクアーロン」の意味・わかりやすい解説

ハンク・アーロン

「アーロン」のページをご覧ください。

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