バイトアルヒクマ(英語表記)Bayt al-Ḥikma

改訂新版 世界大百科事典 「バイトアルヒクマ」の意味・わかりやすい解説

バイト・アルヒクマ
Bayt al-Ḥikma

〈知恵の館〉を意味するアラビア語で,9世紀にアッバース朝カリフマームーンによってバグダードに建設された研究機関。その主たる目的はギリシア語による哲学・自然科学の書物の収集と,それのアラビア語への翻訳であった。ササン朝時代のジュンディーシャープールの学院の伝統を受け継いだもので,カリフ,ハールーン・アッラシード時代の〈知恵の宝庫Khizāna al-Ḥikma〉という図書館が直接の前身となっている。翻訳官の大部分ネストリウス派キリスト教徒であった。ササン朝時代からギリシア語の学芸はシリア語に翻訳されており,アッバース朝の初期からアラビア語への翻訳も始まっていたが,〈知恵の館〉は翻訳活動を組織的に行った点に特色がある。ムータジラ派の合理的思弁神学を否定し正統派神学に戻ったカリフ,ムタワッキル(在位847-861)の時代に〈知恵の館〉は自然消滅したが,王侯が図書と学者を集めた学院(マドラサ)を設立するという伝統は残った。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のバイトアルヒクマの言及

【アラビア医学】より

… ギリシアの医者たちの古典的医学書の翻訳はウマイヤ朝時代に始まったらしいというが,本格的に行われたのはアッバース朝になってからで,ことに第7代カリフ,マームーン(在位813‐833)の時代から活発になった。このカリフはバグダードにバイト・アルヒクマ(〈知恵の家〉の意)を建て,文献や学者たちを集めてギリシア語文献の訳業を推し進めた。そのころシリアの学者たちの中にギリシア語に精通したものが多かったので,ギリシア語からまずシリア語に訳し,つぎにアラビア語に訳した文献も多かった。…

【イスラム哲学】より

…イスラム教徒による哲学研究の開始当初は,とくにギリシアの思想家の著書のアラビア語への翻訳に重点が置かれた。アッバース朝カリフ,マームーンはバグダードにバイト・アルヒクマを建てて,この翻訳活動を推進した。これらの翻訳活動のうちで,とくにアリストテレスに関しては,その著作の大部分がアラビア語に訳されて研究されるようになった。…

【バグダード】より

…マンスールが建設した円城内のモスクは,法学,とくにハナフィー派とハンバル派の法学を研究・教育する中心機関となった。また,マームーンによって建設されたバイト・アルヒクマ(知恵の館)では,ギリシア語による医学・数学などの自然科学書がアラビア語に翻訳され,その活動の成果はアラビア科学の発展に大きく貢献した。ブワイフ朝に続いて1055年にバグダードに入城したセルジューク朝(1038‐1194)は,シーア派勢力の拡大に対抗してスンナ派のウラマーを養成する必要から,1067年ティグリス川東岸にニザーミーヤ学院を建設し,これがイスラム世界におけるマドラサ教育の先がけとなった。…

【マームーン】より

…イラン人の女奴隷を母にもち,東方諸州の総督となったが,809年の異母弟アミーンal‐Amīn(787‐813)のカリフ即位後,両者間は険悪化,内乱となり,813年バグダードを占領してカリフ位についた。国内の反乱の鎮圧に努力する一方,バイト・アルヒクマ(知恵の館)を建設してギリシア文献の翻訳事業を推進,その影響を受けたムータジラ派神学を公認教義として思想統一を図るとともに学問を奨励した。【森本 公誠】。…

※「バイトアルヒクマ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

黄砂

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android