翻訳|caliph
アラビア語ではハリーファkhalīfaといい,元来は〈継承者〉〈代理者〉を意味するが,通常は初期イスラム国家の最高権威者を指す。ムハンマドは後継者を指名せずに死んだので,イスラム教団は一時分裂の危機に瀕したが,結局アブー・バクルに忠誠の誓いを立て,彼が指導者となった。その時〈神の使徒(すなわちムハンマド)の代理〉という意味でハリーファ・ラスール・アッラーkhalīfa rasūl Allāhと称したのがカリフの呼称の最初である。第2代のウマル1世は,このアブー・バクルの代理ということで,最初〈神の使徒の代理の代理khalīfa khalīfa rasūl Allāh〉と称したが,称号が長くなって不便なので,途中から〈信者の長〉の意味のアミール・アルムーミニーンAmīr al-Mu'minīnを用いた。その結果,以後のカリフはほとんどすべてこれを称号としており,史料に出るのもこれで,ハリーファではない。一方,コーランにアダムやダビデを地上における〈神の代理〉と規定している記事があることに触発されてか,初期のカリフたちを〈神の代理khalīfa Allāh〉と呼びかけたりしたことがあったが,アッバース朝革命が理念的にはウマイヤ朝カリフの正統性に疑義を唱え,ムハンマド家出身の指導者(イマーム)こそがカリフ位につかねばならないとして戦われた結果,カリフの権威は著しく向上し,カリフ自らも自己を地上における〈神の代理〉であるとして,神権的権威を主張するようになった。そしてそれは,アブー・ユースフのような正統派法学者によっても合法として認められ,そのようなカリフに対して,人々は絶対的に服従するよう求められた。しかしながらアッバース朝カリフの権威が失墜した後世の学者たちの間では,〈神の代理〉の称号は不敬なものとして非合法化された。なおハリーファ(カリフ),アミール・アルムーミニーンと並んで,イマームという称号も同様の意味で使用されることがある。この場合のイマームはシーア派を顧慮したアッバース朝カリフのマフディーとマームーンとが用いたほかは,もっぱらイスラム法上で用いられる。
イスラム法では,カリフはイスラムの政治制度の中心的存在をなすものとして,その資格や職責などが論じられている。カリフ位の本質は宗教の保全と現世の政治についてムハンマドの代理をなすことにあり,具体的には,前者は礼拝,裁判,聖戦(ジハード),市場監督・生活倫理(ヒスバ)といった諸規定,後者は,行政・財務に関する諸規定の執行責任があるとされた。しかしブワイフ朝のような軍事政権が政治の実権を掌握するようになると,カリフの行政上の責任は名目だけのものとなり,また唯一のカリフという観念もファーティマ朝とイベリア半島の後ウマイヤ朝がそれぞれカリフを称するようになると有名無実化した。こうして宗教的職掌のみを保持するにすぎなくなっていたアッバース朝カリフも,1258年のモンゴルの侵入によって廃絶させられた。イスラム法によると,カリフたる者は,知識,誠実,能力,感覚と肢体の健全,クライシュ族出身者の五つの条件を備えねばならず,その選出は原則的には資格をもった選挙人によるが,カリフが次代の者をあらかじめ指名してもよいとされ,父子相続も事実上承認されている。またカリフに異端信仰もしくは乱行,精神的・肉体的欠陥の発生,自由行動権の喪失の諸事態が発生した時には,廃位されてもやむをえないとされた。マムルーク朝スルタンは,アッバース朝カリフの後裔を招いてカリフ位を復活させた(1261)が,実際的にはカリフは宮廷の単なる食客にすぎない存在であった。1517年オスマン朝のセリム1世がエジプトを征服した時,カリフをイスタンブールに拉致し,カリフ位を譲られたとされているが,これは後世の虚構であるらしく,オスマン朝のスルタンが同時にカリフを標榜するようになるのは,18世紀後半のことで,それは同時にオスマン朝国家の衰退を意味していた。
執筆者:森本 公誠
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イスラム教の預言者ムハンマド(マホメット)没後の、イスラム社会の最高指導者をいう、イスラム政治学での用語。アラビア語ではハリーファkhalīfa(継承者、代理人)といい、カリフはその英語なまりである。実際の最高指導者は「信徒の長(アミール・ル・ムーミニーン)」と称することが多く、カリフという称号が用いられた例はかならずしも多くない。
最初の4代のカリフは、神に正しく導かれたカリフという意味で正統カリフとよばれ、その時代は正統カリフ時代(632~661)とよばれる。ついでウマイヤ家がカリフ位を独占するウマイヤ朝(661~750)、さらにアッバース家がカリフ位を独占するアッバース朝(750~1258)と続いた。10世紀から11世紀にかけての時期は、アッバース家のカリフに対抗して、ファーティマ朝の君主と後(こう)ウマイヤ朝の君主もカリフを称し、イスラム世界に3人のカリフが並存する時代であった。その両王朝が滅亡したのちは、各地で実質的に独立していたイスラム王朝は、アッバース家のカリフとしての権威を認めたが、アッバース朝滅亡後はその実質的な意味を失った。19世紀末から第一次世界大戦の時代に、オスマン・トルコ皇帝がカリフと称して全イスラム勢力の結集を試みたが失敗した。
[後藤 明]
「代理人」を意味するアラビア語ハリーファの訛り。632年にムハンマドが没し,アブー・バクルがイスラーム共同体の指導者に選ばれたとき,この称号を用い,以来これがムスリム全体の政治的首長の称号となった。スンナ派法学者は,第4代アリーまでと,ウマイヤ朝,アッバース朝のカリフだけを正式と認め,エジプトのアッバース朝(1261~1517)やオスマン帝国のスルタン・カリフ制は認めない。カリフの職責は正しい信仰の維持,シャリーアの施行,ジハードの指導,行政官の任命などであり,資格は,クライシュ族出身の心身健全なムスリム男子であった。
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…当時メディナにも70人余りのムスリムがおり,イスラムはわずか150人ほどの信者をもってその紀元(ヒジュラ暦)元年を迎えたのである。 ムハンマドの没後,新しい指導者としてアブー・バクルをカリフに選び定めたムスリムは,その指導のもとに大規模な征服を開始した。彼らは7世紀の半ばまでにササン朝の全領土を併せ,シリアとエジプトをビザンティン帝国から奪った。…
…16‐17年に行われたエジプトのブルジー・マムルーク朝のスルタン,ガウリーに対する遠征では,アレッポの北マルジュ・ダービクMarj Dābiqの戦で勝利を収め,シリアからエジプトに至る地域を属領化した。なおカイロに亡命中のアッバース朝カリフの末裔から全スンナ派の庇護者,信教の首長としてのカリフの称号を譲り受け,スルタン・カリフ制が成立したが,ロードス島攻略を準備中に没した。彼は詩人としての側面もあり,学術にも関心をもち,史書を愛好した。…
…第1次世界大戦後のイギリスの対トルコ政策,とくにイスラム国家最高主権者カリフの廃止をめぐり,カリフ制擁護を掲げてインド・ムスリムが立ち上がった反英闘争の一つ。アリー兄弟,アーザード,モハニらが結成したヒラーファトKhilāfat委員会に対して,この問題をヒンドゥー・ムスリム統一強化の好機とするガンディーは,国民会議派組織を挙げてこれに合流,自ら全インド・ヒラーファト委員会議長となる。…
…〈支配者〉〈王〉を意味する語。コーランでは神あるいは異民族の王の呼称として用いられ,カリフも自らマリクを称することはなかった。しかしアッバース朝以後のウラマーによれば,ウマイヤ朝時代からのカリフは,たとい称号はカリフであっても,その実態は世俗的な君主(マリク)にすぎず,わずかにアッバース朝時代の何人かのカリフがイマームに必要とされる水準に達したとされた。…
…旧説では中世ペルシア語vishirの派生語で,ササン朝ペルシアの制度を借用したものと考えられていたが,アラビア語のワジールは元来〈補佐〉や〈重荷を負う者〉の意味をもっていて,それが〈君主の助力者〉というイラン思想と結びつき,アッバース朝に入って公的な肩書となった。アッバース家運動を推進してきたアブー・サラマが革命軍のホラーサーン軍から〈ムハンマド家のワジール〉という尊称を贈られたのが最初であるが,この時はまだカリフから任命されたのではなく,制度としても未熟であった。しかし,その後カリフ体制の中央集権化を図るうえから,ワジールはカリフの単なる補佐役から,しだいに代務者の役割を果たすようになり,やがて9世紀末近くなると,ほとんどすべての行政機関の統括者になるとともに,ときには各州の総督や税務長官,裁判官の任命権をも掌握し,カリフに代わって国政の全般を指揮した。…
※「カリフ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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