ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「書物」の意味・わかりやすい解説
書物
しょもつ
book
前 3000年の古代エジプトのパピルスの巻物は,同時代の古代シュメールやバビロニア,アッシリア,あるいはヒッタイトの粘土板文書よりも現代の書物の直接の祖先に近い。中国の原始的な書物は紐でつながれた木や竹の細長い板でできていた。秦の始皇帝は前 213年に焚書によって出版を禁じようとした (→焚書坑儒 ) が,書物による学問は漢朝 (前 206年~220年) のもとではぐくまれた。文献は継続的に写本され,175年孔子の文献が石板に彫刻されるようになり,拓本による保存が始った。 400年には油煙からつくられる墨が,6世紀には木版印刷が導入された。ギリシアはパピルスの巻物を採用し,それをローマに伝えた。 400年までに巻物に取って代った羊皮紙の写本は,書物の形態に革命的変化をもたらした。本文のどこであろうとページを開くこと,ページの両面にメッセージを伝えること,より長い本文を1冊にまとめることができるようになった。 15世紀までには紙の写本が一般的になった。中世の修道院には図書室と本を書き写す筆写室があるのが典型的であった。のちに印刷された本のモデルともなった中世の手書き本は,14~15世紀における人文学の発達と,その土地特有の言語に対する関心を高めることに寄与した。
15世紀後半,印刷が急速に普及した。複製をふやし,版を完成し,手書きの本とは見た目も違う新しい様式化されたパターンとともに,統一的なグラフィック・デザインを複写する印刷能力が,16世紀における思想・学問の革命を可能にした。印刷革命のもう一つの側面,つまりそれまでの口頭によるコミュニケーションに対して,視覚的なコミュニケーションが重視されはじめたことに伴う文化の変容を,M.マクルーハンは強調した。一般に 17世紀の書物は,16世紀の最もすぐれた造本技術を用いた書物より見た目では劣っていた。西洋では 17~18世紀に読者層が大幅に拡大したが,これは一つには女性の識字能力の向上に負っていた。活字のデザインも進歩した。 18世紀末に発明された図版の銅板印刷法は,オフセット印刷の基礎になった。 19世紀になると,印刷の機械化が先進工業国における書物の需要の増大に対応する手段を提供した。 W.モリスは 19世紀の終りに職人魂を復活しようとして,個人出版の運動を始めた。 20世紀には,知識の普及,記憶・検索のための新しい媒体が登場したが,書物は文化的な優勢を維持した。第2次世界大戦以後,特に児童書や教科書におけるカラーイラストの使用の増加は,高速オフセット印刷の発達を促進した。日本では1年間に約4万点,推定約 13億 7740万冊の書物が出版されている。
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