日本大百科全書(ニッポニカ) 「マームーン」の意味・わかりやすい解説
マームーン
まーむーん
al-Ma'mūn
(786―833)
アッバース朝第7代カリフ(在位813~833)。第5代カリフのハールーン・アッラシードを父とし、イラン系の女奴隷を母として生まれた。長じて東部諸州の総督となり、メルブ(マルワ)に住し、異母兄アミーンに次ぐ第2位のカリフ位継承権を有していたが、809年アミーンが即位し、自分の子をカリフ位継承者にしようとしたことから、両者間は険悪化して内乱となり、マームーンは813年、首都バグダードを包囲陥落させてカリフ位についた。彼は、合理主義思想の持ち主で、バイト・アルヒクマBayt al-Hikma(知恵の館(やかた))を建設して、ギリシア語学術文献の翻訳事業を推進するとともに、その影響を受けたムゥタジラ派神学を欽定(きんてい)教義として採用し、思想統一を図った。
[森本公誠]