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バル・サウマー Bar Ṣaumā

世界大百科事典 第2版の解説

バル・サウマー【Bar Ṣaumā】

420ころ‐490ころ
ネストリウス派教会の指導者。ギリシア名バルスマスBarsoumas。同派のペルシア領への拡大に尽力した。エデッサ主教イバスIbas(在位435‐457)の弟子。エフェソスの盗賊教会会議(449)で追放され,ペルシア領に亡命。ニシビス(現,トルコ領ヌサイビン)の府主教となり,ネストリウス派の神学校を開設した。ペルシア王ペーローズの厚遇を得て,単性論派の弾圧を行わせた。なお,ニシビスの神学校は,閉鎖されたエデッサ神学校の教師をも受けいれ,のちにギリシアの学問をアラブ人に伝える窓口となった。

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世界大百科事典内のバル・サウマーの言及

【ネストリウス派】より

…そのためカルケドン派教会から異端とされた。初期の有能な指導者バル・サウマーは,ローマ帝国の弾圧を逃れて,5世紀中葉にシリアのエデッサからペルシア領ニシビスに達し,ここに神学校を設けて拠点とした。バル・サウマーはペーローズ王の厚遇を得て,ネストリウス派をペルシアにおける支配的キリスト教派となし,ベート・ラパト会議(484)で公式にネストリウス主義が受けいれられることになった。…

※「バル・サウマー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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