文学作品で、原作の筋(すじ)、内容を別の作品に書き改めることで、英語のadaptationのこと。『竹取物語』や『源氏物語』などにインド・中国に由来する物語もあるが、西洋からはホメロスの『ユリシーズ』が『百合若(ゆりわか)大臣』(作者不詳)として初めて室町時代に翻案されたという。明治以後、とくに西洋の作品を日本風に改作することが盛んになった。社会、事件、人物などを日本化するが、固有名詞を日本語に改めるだけでは翻案でない。原作のおもかげをとどめながらも、異相を呈し、別の作品としての生命力をもつ作品の場合すでに翻案の域を越えているが、原作の筋と仕組みをそのまま移し変えたにすぎないような作品は剽窃(ひょうせつ)である。翻案とはその中間に位置する作品である。翻案の場合、ときには原作の精神や主要な部分が欠落したり変容したりすることも少なくない。
明治初期には政治小説の類に翻案が多かったが、尾崎紅葉(こうよう)はとくに優れた翻案作品を残した作家である。紅葉の『夏小袖(こそで)』(1892)はモリエールの『守銭奴』の翻案であるが、日本化の過程で原作の喜劇性は薄れ、会話の滑稽(こっけい)味が強調されて江戸風の茶番狂言の趣(おもむき)が濃くなっている。原作の人物の性格描写や風刺・批判精神が取り上げられず、紅葉その人の創作を思わせる作品となっているのである。これは『隣の女』(1893)でも同様で、原拠のゾラの小説『一夜の恋ゆえに』の自然主義小説特有の暗黒面は省かれて、紅葉一流の市井の日常生活的な風俗描写になっている。作者のなかには翻案であることを隠さない者もいた。その一人、福地桜痴(おうち)は『あはれ浮世』で、これがユゴーの『レ・ミゼラブル』の翻案であることを明記した。大衆文学では翻案作品はきわめて多く、岡本綺堂(おかもときどう)の『半七捕物帳』はコナン・ドイルの『シャーロック・ホームズ』に着想を得ていることは有名である。純文学でも翻案は少なくない。
[富田 仁]
『吉武好孝著『明治・大正の翻訳史』(1959・研究社出版)』▽『中島健蔵・太田三郎・福田陸太郎編『比較文学――目的と意義』(1971・清水弘文堂)』
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出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
文学作品の筋や仕組みを換骨奪胎して別の作品に改作することであるが,とくに外国作品を自国風に書き改めることを指す。平安朝の漢詩文では典拠をほかに仰いだことを誇示する傾向が強かったが,明治以降には日本文学の致富発展の意図で翻案が多く試みられた。政治小説の類に翻案が顕著である。尾崎紅葉もまた多数の翻案作品を書いた作家の一人で,《夏小袖》(1892)でモリエール《守銭奴》を翻案したが,原作の喜劇特有の風刺も批評精神もとりあげられず,会話の滑稽味を強調する江戸風茶番劇に仕立てられ,紅葉そのひとの創作に近いものになっている。翻案は原作の主要な筋の借用や一部の模倣をしながらも原作を髣髴(ほうふつ)とさせるところを残す作品であるが,原作とはまったく異相を呈し別の生命力をもった作品と,原作そのままのような剽窃(ひようせつ)作品との中間に位置する。エドモン・ロスタン《シラノ・ド・ベルジュラック》の額田六福(ぬかだろつぷく)(1890-1948)による翻案《白野弁十郎》はとくに有名である。
執筆者:富田 仁
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…クラシックの楽曲を軽音楽化するなど,既存の楽曲に依拠しつつも,これを変形する編曲も二次的著作物の作成に該当する。絵画を彫刻にしたり,彫刻を絵画のかたちで表すなど,既存の著作物を他の表現形式をもって表す変形も,既存の著作物を脚色したり,映画化するなどの翻案も二次的著作物の作成となる。文語体で表された著作物を口語体に改めたり,大人向きの著作物を子供向きに書き換えることも,学術書などのダイジェストを作成することも翻案となる。…
…コミュニケーションの目的とは何よりも原作者の意図・目的であるが,現代の文学理論が明らかにしているように,テキストは原作者からひとり立ちし,彼の意図・目的がテキストの構造に融解し,多義的な解釈が可能であるとすると,翻訳者は原作者の意図・目的に関して,また翻訳言語によるテキストの構造の可能な再現方法に関して,実存的選択を迫られるのかもしれない。たとえば,明治時代に多く行われた外国文学(戯曲)の翻案もその例であって,これは原作の言語・文化と日本語とその文化との間に,越えがたい距離が存在するために,日本の文化状況に即して原作テキストの人名,地名,状況を日本のものに移し換えたものだが,ここには原作者の意図を離れて翻訳者の意図が強く表に出ている。
[翻訳の創造性]
翻案は大衆の趣味に応じたものであるが,本来の翻訳はある民族に未知の事がらを紹介するものであると同時に,原語と翻訳言語との接触によって原作は新しい生命を得て生き続けることができるようになるし,翻訳言語もその出会いにおいて新しい可能性を発見し己の財産とするのである。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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