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パッサロビツ条約 パッサロビツじょうやく

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世界大百科事典 第2版の解説

パッサロビツじょうやく【パッサロビツ条約】

オーストリア・トルコ戦争(1716‐18)におけるオスマン帝国オーストリアおよびベネチアの間の講和条約イギリスオランダが仲裁国となり,1718年にセルビアのパッサロビツPassarowitz(現,ポジャレバツPožarevac)で締結された。ベオグラード攻略に成功したオーストリア・ベネチア側はこの条約によって,オーストリアはオルテニア(ワラキア西部),バナトティミショアラ地方,ボスニア北部とセルビアの一部を,ベネチアは占領地域のモレア半島とエーゲ海の島々,アルバニアダルマツィアの沿岸地域の一部を領有したが,とりわけオーストリアの南方への領土拡大が目だった(ただしセルビア,オルテニア領有は1739年まで)。

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All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

世界大百科事典内のパッサロビツ条約の言及

【バナト】より

…15世紀までハンガリー王国領だったが,モハーチの戦(1526)ののちオスマン帝国領となり,ティミショアラ・パシャリク(ハンガリー語ではテメシュバール・パシャリク)がつくられた。1718年パッサロビツ条約によってオーストリア領になると,南部国境を防衛する軍事境界地帯に一時編入されたが,のちこの地方はティミシュ・バナト(ハンガリー語ではテメシ・バーンシャーグ)として独自の行政単位をなすようになった。この地方はオスマン帝国の中欧侵略の時代には攻撃の主要ルートにあたり,また18世紀後半からオーストリアの反攻が開始されるとたびたび戦火に見舞われ,このため住民は離散し農業も衰退した。…

※「パッサロビツ条約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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