ビットリオ
Giuseppe di Vittorio
生没年:1892-1957
イタリアの労働運動指導家。工場労働者出身。1913年イタリア労働組合同盟中央委員となり,その後ムッソリーニ治下の北部イタリアの労働運動の組織化に活躍した。36-39年のスペイン市民戦争に際しては人民戦線側に立って参加した。第2次大戦末期にはパルチザン部隊を結成して反ナチス・ゲリラ戦を指導,イタリア解放につくした。労働運動においては共産党と社会党の統一戦線の実現に力を注ぎ,45年イタリア労働総同盟(CGIL)創立に尽力しその書記長となる(-1957)。同年世界労連の設立とともに副委員長,49年ミラノ大会の際に同委員長に就任し,容共派国際労働運動を指導した。イタリア共産党中央委員でもあった。
執筆者:長部 重康
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
世界大百科事典(旧版)内のビットリオの言及
【CGIL】より
…CGIL内においては抵抗闘争における大衆指導の力量を反映して共産党系の力が圧倒的であり,書記長は今日まで共産党系が掌握している。初代書記長ビットリオGiuseppe di Vittorio(1892‐1957)は,共産党中央委員であり,また世界労連創立に際し副委員長,のち委員長に就任した。戦後の高揚期が過ぎると内部対立が激化し,48年以降カトリック系,社民系がぬけ,それぞれCISL,UILを結成した。…
【CGIL】より
…CGIL内においては抵抗闘争における大衆指導の力量を反映して共産党系の力が圧倒的であり,書記長は今日まで共産党系が掌握している。初代書記長ビットリオGiuseppe di Vittorio(1892‐1957)は,共産党中央委員であり,また世界労連創立に際し副委員長,のち委員長に就任した。戦後の高揚期が過ぎると内部対立が激化し,48年以降カトリック系,社民系がぬけ,それぞれCISL,UILを結成した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」