ベリー(John Cutting Berry)(読み)べりー(英語表記)John Cutting Berry

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ベリー(John Cutting Berry)
べりー
John Cutting Berry
(1847―1936)

アメリカ人宣教医。宣教と医療を目的に監獄改良や看護教育の面でも先駆的な役割をなした。メーン州に生まれる。1871年ジェファーソン医科大学卒業。1872年(明治5)アメリカン・ボードよりの派遣で、妻とともに神戸に着く。同地で医療に従事するとともに県下各地で伝道を行い、1876年、監獄改良についての提言内務卿(きょう)大久保利通(としみち)に行った。その後岡山県に移り、ここでも県下各地で医療伝道に努めたが、医学校設立を企てた新島襄(じょう)の依頼を受け、一時帰国して準備にあたった。しかし、医学校の計画は流れ、1886年同志社病院院長、京都看病婦学校教師として赴任、日本における系統的な看護教育の初期の推進者となった。彼の呼びかけで来日したL・リチャーズはアメリカ最初の有資格看護師として有名である。同志社側の事情で1893年職を離れ帰国するが、日本の医学、看護学、病院の近代化に及ぼした影響は大きい。1895年ころより母国開業。1918年(大正7)に再来日した。

[長門谷洋治]

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