ポル・ポト派

共同通信ニュース用語解説 「ポル・ポト派」の解説

ポル・ポト派

カンボジア共産党が母体で、クメール・ルージュとも呼ばれた。1975年に親米ロン・ノル政権を倒し、最高指導者のポル・ポト首相(当時)の下、極端な共産主義政策を展開。政治犯を虐殺したほか、貨幣制度や学校教育、宗教、家庭などの社会制度を否定し知識人を粛清。都市住民を地方に移住させ、強制労働などで死に追いやった。ベトナム軍の侵攻で79年にポル・ポト政権は崩壊したが、タイ国境地帯などで抵抗を続け、内戦が長期化。98年のポル・ポト氏死亡後、投降が相次ぎ99年に消滅した。(共同)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ポル・ポト派」の意味・わかりやすい解説

ポル・ポト派
ぽるぽとは
Pol Pot's group

カンボジアの反政府勢力。クメール・ルージュKhmer Rouge(赤いカンボジア人)ともよばれる。

[編集部]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ポル・ポト派」の意味・わかりやすい解説

ポル・ポト派
ポルポトは

「赤いクメール」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内のポル・ポト派の言及

【カンボジア】より

… 粛清されずに残った親ベトナム派勢力は78年12月にカンボジア救国民族統一戦線を結成し,ベトナム軍に支援されて,79年1月,プノンペンを占領,カンボジア人民共和国(ヘンサムリンHeng Samrin政権)が成立した。ポルポト派勢力はタイ国境地帯で反ベトナムのゲリラ戦を続けながら,82年7月にはシアヌークなどの第三勢力を含めた反ベトナム3派による連合政府を発足させた。こうした内戦と政権交代に伴う混乱のため,多くの難民が生じた。…

※「ポル・ポト派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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