メル ブルックス(英語表記)Mel Brooks

現代外国人名録2016 「メル ブルックス」の解説

メル ブルックス
Mel Brooks

職業・肩書
映画監督,脚本家,俳優,映画プロデューサー

国籍
米国

生年月日
1926年6月28日

出生地
ニューヨーク市ブルックリン

本名
ブルックス,メルビン・カミンスキー〈Brooks,Melvin Kaminsky〉

受賞
アカデミー賞短編漫画賞(第36回)〔1963年〕「The Critic」,アカデミー賞脚本賞(第41回)〔1968年〕「プロデューサーズ」,ネビュラ賞(脚本)〔1975年〕「ヤング・フランケンシュタイン」,トニー賞脚本賞・楽曲賞(第55回)〔2001年〕「プロデューサーズ」,グラミー賞(ミュージック・ビデオ部門,第44回)〔2001年〕,ケネディ・センター名誉賞〔2009年〕,AFI生涯功労賞〔2013年〕

経歴
ユダヤ人。幼い頃からショー・ビジネスに憧れアマチュアのドラマー兼ピアニストとして出発。1950年代初めにスタートしたシド・シーザーのテレビ・ショー「Your Show of Shows」のギャグ・ライターとして才能を発揮、その後テレビシリーズ「それ行けスマート」などの台本で笑いをふりまいた。映画は’54年「New Faces」の脚本や’63年「The Critic」の脚本、演出などを経て、’68年ショービジネスの世界を描いたコメディ「プロデューサーズ」で本格的に取り組み、製作・原作・脚本・監督を手がける。脚本でオスカー賞を獲得し、’74年「ブレージングサドル」で監督デビュー。大半の作品に自らも出演、コメディアン軍団を率いてジョークパロディのナンセンス・コメディで活躍。’80年代にはプロデューサーとしても活躍、「エレファント・マン」にデービッド・リンチを、「ザ・フライ」にデービッド・クローネンバーグを起用した。2001年「プロデューサーズ」をミュージカル化し、同年のトニー賞で史上最高の12部門を受賞。2007年には「ヤング・フランケンシュタイン」をミュージカル化。2010年ハリウッド・ウォーク・オブ・フェイムに名前が刻まれる。2013年アメリカン・フィルム・インスティテュート(AFI)生涯功労賞を受賞。他の監督・脚本・出演作に「ヤング・フランケンシュタイン」(1974年,監督・脚本のみ)、「サイレント・ムービー」(’77年)、「新サイコ」(’77年)、「フライング・ハイ」(’80年)、「メル・ブルックスの大脱走」(’83年,主演のみ)、「スペースボール」(’87年)、「メル・ブルックス逆転人生」(’91年)、「ロビン・フッド 伝説のタイツ男」(’93年)、「レスリー・ニールセンのドラキュラ」(’95年)、「プロデューサーズ/ムービー・ミュージカル」(2005年)など。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

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