民間説話あるいは口承文芸の一類。この種のものをいうことばに、わが国には古くから「いいつたえ」もしくは「いわれ」の語があった。こうした表現からみて、その対象は元来が真実と信じられる事件、さらにはそれにまつわる話そのものを称していたとみられる。このような情況からみて、基本的にはそれはあくまでも民間にあって、しかも文字を媒介せずに伝えられてきたものをいった。無文字社会における口頭の言語伝承であった。神話との違いは、もともとそうしたところにあったと考えられる。こうした類(たぐい)の話は、もちろん外国にも存する。中国でいう「民間故事」がそうである。また英語はlegend、フランス語にはlégende、ドイツ語にはSageの語がある。そこで、従来からこのような外国語との比較・対照による内容の吟味と概念規定は、しばしば試みられてきた。しかし、それぞれの語が歴史的にもそこに抱え込んできた意味・内容には、すでに相いれない部分がかなりあって、これらのことばとの完全な一致を期待するのは困難である。しかしそれにもかかわらず、その間、互いに共通して擁しているそこでのありようには、これまた見過ごすことのできない事実がいくつか指摘しうる。それは特性である。
[野村純一]
こうした類の話は、かつての日に、いずれもその内容が事実であったと信じられた歴史、もしくはそうした経過をもっていた。最初から話そのものを虚構であるとか、事実に反するのではないかなどと疑ったのでは、伝えられるきっかけを失っていたということである。したがって、山や湖の創成とか、あるいは穀物の渡来を説くとかのように、話の内容が原古にさかのぼればのぼるほど、話そのもののありようは神話のそれに接近し、両者の区別はきわめて紛らわしい状態を示してくる。ついで、この種の話はそこでの歴史性、いうなればそれが事実であったことの証明として、実際に過去に惹起(じゃっき)した事件やできごとの傍証を求めるべく、記念品もしくはそこでの事跡を用意する。新田義貞(にったよしさだ)の首塚であるとか、西行(さいぎょう)法師の笠掛(かさがけ)桜とかいうのがこれで、話に関連する事物を直接確保・保存して、積極的に事実の存在証明にする。具体化を図るわけである。これによって、そこでの話はしばしば歴史的事実に寄り添って伝えられ、その時間的生命を獲得しようとした。これがために、こうした類の話を伝えるに際しては、明らかにこれを完結した一編の物語としていう場合と、一方にはまた、眼前の事態、つまりは属目(しょくもく)の事物に即してごく簡単に説明するにとどまってしまう場合とがあった。
そこでいま、改めて以上の特性を要約するならば、そこにはまず第一に、こうした話に向けて、これを支持する人々の真摯(しんし)・素朴な心持ちがあった。信心があり信頼があった。これを信仰あるいは宗教性としてみることができる。第二に、話は求めてつねに歴史上のできごとにかかわって説かれようとし、信憑(しんぴょう)性が重視されていた。それがために、怠りなく事実追認の証拠品を必要とした。これを現実性、歴史性としてみる。第三に、話は独立した一編の物語として、起伏に富み起承転結を心得ている場合と、他方、目の前にある事物の由来をわずかに説く場合とがあった。いうなれば、話は時と場合によって長短、伸縮は常時自在であった。したがって、これを統一された様式の欠如、つまりは不定型の伝承とみることができる。これらの特性が、それぞれの国の状況下にあっては、かならずしもすべて共通の原則とか条件であるとするのではない。しかし実際には、抽出されたこうした性格は、ひるがえって民間説話もしくは口承文芸の他のグループ、たとえば昔話に比較・照合したときに、そこでの特色はよりいっそう顕在化し、露呈してくるものと思われる。
[野村純一]
昔話は、そもそもが空想力や虚構性にゆだねられた、物語性の強い内容であった。これはだれしもがあらかじめ承知している。したがって、昔話の内容に向けてそこでの真実もしくは現実性を期待するのはすでに認められない。それゆえ、話の根拠を証明する記念品や事跡は当初から必要としなかった。さらに昔話は、その伝達と享受に際しては、もともと定められた語り始めの句と、それに対応する語り収めの句が存在した。「とんとむかしがあったげど」に対する「いっちご、さっけ」とか、「むがし、むがし」に対する「とっぴんからりん」などがそれである。これは要するに物語の伝承様式はきちんと確定していたということである。それがため、結果として、そこでの恣意(しい)的な中身の伸縮や省略はほとんどなしがたい。これが常態である。以上、このような実情によって、この昔話と伝説との違いはもはや決定的であるといってよい。
[野村純一]
そこで、両者のこうした相違に着目して、19世紀初頭にドイツのグリム兄弟J. & W. Grimmは「昔話は詩的であり、伝説は歴史的である」と説いた。伝説の定義もしくはその概念規定について、もっとも早くにそれを試みたのはこの兄弟であった。一方、わが国の研究者で初めてその種の見解を示したのは上田敏(びん)であった。Folkloreを訳して、これに、「俗説学」の語を用いたのは上田敏が最初であった。それとともに彼は「俗説学は単にお伽噺(とぎばなし)のやうな古来のハナシ又(また)モノガタリのみを研究するのでは無く、一定時に於(お)ける一民衆の心に存するあらゆるイヒツタヘの総体を吟味し取り調べてよい」とした。そのうえで、さらに伝説・神話・お伽噺の差異については、まず「一体ハナシには(1)娯楽の為(ため)にするハナシと(2)真実と信じるハナシとがある」と言い置いたあと、「お伽噺とこれら二者の区別如何(いかん)といふに、古伝神話に現はれる神明、英雄等は、一定の名称を有(も)ち、多くは一定の土地に関係して、嘗(か)つて実際この世に存在してゐたとしてある。之(これ)に反して、お伽噺の世界はすべて漠としてゐる。今は昔とか、昔々あつたとさとかいふばかり、人物の名も多く定まつてゐず、何処(どこ)とも誰(だれ)とも、全く当がない」と述べた。こうしてみると、ここでの上田の指摘は、早い時機にあってきわめて適切、的確であったと評しうる。ただし、上田敏のその発言はそこまでで、このあと、わが国に行われる伝説の具体的な分類、整理とそれに伴う問題点の摘出は、他の先進諸国同様、民俗学そのものの黎明(れいめい)と勃興(ぼっこう)のときを待たなければならなかった。
[野村純一]
研究史上見逃すことのできぬ業績を残したのは高木敏雄(としお)(1876―1922)である。伝説に向ける高木の関心は他に先んじて早く、しかも彼は当初からこれの体系化を目ざしていた。具体的には1913年(大正2)東京朝日新聞社が全国から募集した民間伝説・童話数百件のなかから高木は250余編を選出し、そのうえで『日本伝説集』を上梓(じょうし)した。そこでは形式、モチーフを基準にして、わが国の伝説が23群に分類された。それはまた甲乙丙に分けられ、なおその下位区分として(1)(2)(3)、さらに(イ)(ロ)(ハ)というぐあいに細分化されたものであった。試みられた23群は次のとおりである。〔1〕説明神話的伝説、〔2〕巨人・両岳背競伝説、〔3〕九十九伝説、〔4〕樹木伝説、〔5〕石伝説、〔6〕城跡・長者伝説、〔7〕金鶏呪咀(じゅそ)伝説、〔8〕椀貸穴(わんかしあな)伝説、〔9〕抜穴(ぬけあな)伝説、〔10〕沈鐘(ちんしょう)伝説、〔11〕水界神話的伝説、〔12〕犬神(いぬがみ)・人狼(じんろう)伝説、〔13〕英雄伝説、〔14〕妻争伝説、〔15〕船橋伝説、〔16〕神婚伝説、〔17〕義犬塚・猿神退治伝説、〔18〕縁起伝説、〔19〕民間信仰(呪咀(じゅそ)・怨霊(おんりょう)・姥池(うばがいけ)など)、〔20〕人柱伝説、〔21〕民間説話、〔22〕天然伝説、〔23〕淮天照伝説。ところで、前記の分類について高木はその「凡例」のなかで「分類目次中の種々の名目は、十中八九まで著者の考案に成つてゐるのであるから、解説の条に於(おい)て、それぞれ説明を加へることにした。尚此(なおこの)書全体の組立は、分類が自ら説明してゐる積りであるから、別に何も云(い)はぬ」と記していた。先覚者としての自負のほどがうかがえる。ただし、神話との区分にいささか紛らわしい部分があり、さらには〔22〕の項にみられるように、現在いうところの「動物昔話」との区分にきわめてあいまいな部分が存する。
これに前後して、柳田国男(やなぎたくにお)も早くからその分類と整理には深い関心を抱いていた。広く民間に流布するこの種の話を直接学問の対象に据え、これを人文科学の分野に繰り入れていくためには、なによりもまずその体系化が当面の課題であったからである。そのため、柳田は実際にその種の作業を手がけていた。1911年(明治44)6月、南方熊楠(みなかたくまぐす)あての書簡に「このごろ小生も伝説をあつめたる本を書かんと企ており候」と述べたあと、10月には続けてその具体的内容を明かして、次のように記している。「順序はほぼ『太陽』に掲げ候総目により『伝説十七種』という書名のつもりに候。川童駒引(かっぱこまひき) 神馬の蹄(ひづめ) ダイダ法師 姥(うば)神 榎の杖(えのきのつえ) 八百比丘尼(びくに) 長者栄花 長者没落 朝日夕日 金の鶏(とり) 隠れ里 椀貸 打出小槌(うちでのこづち) 手紙の使 石誕生 石生長 硯(すずり)の水 これだけをほぼ相互の連絡をとり近世の話三百内外あつめ置くつもりに候。いずれ多くは仏経を中間にして西洋にも行きわたりおる話に候わんが、小生はもっぱら日本にていかなる変形を閲(えつ)せしかを明らかにしたく考えおり候」。しかし、このときの構想は実現に至らず、途中で放擲(ほうてき)された。しかるに柳田は『石神問答』(1910)以後、『神を助けた話』(1920)、『伝説』(1940)、『木思石語』(1942)、さらには『神樹篇(へん)』(1953)といったぐあいに研究を重ね、やがて彼は「如何(いか)に内容では縁の深いものがあらうとも、其(そ)の成立ちから見て伝説はハナシで無い。その世に伝はってゐるのはコトであって、コトバで無かったことを感ぜずには居られない」(『口承文藝(ぶんげい)史考』)とする独自の見解と認識に達した。それがもっとも端的に示されたのは『日本伝説名彙(めいい)』(1950)である。そこでは中心をなす事物に沿って6部門が設けられた。「木の部」(木・蕨(わらび)・芋・菜・薄(すすき)・茅(かや)・蘆(あし))、「石・岩の部」(石・岩)、「水の部」(橋・清水・井・湯・池・川・渡・堰(せき)・淵(ふち)・滝・水穴)、「塚の部」(塚)、「坂・峠の部」(坂・峠・山・谷・洞(ほら)・屋敷・城趾(じょうし))、「祠堂(しどう)の部」(地蔵・薬師・観音・不動)といったのがそれである。
[野村純一]
こうしてみると、伝説に対する柳田国男の姿勢は、高木敏雄のそれに比較してきわめて狭く、散文的であり、また即物的である。まさしく「コトであって、コトバで無かった」とする理解であったのがわかる。しかし、たとえいかに事物中心主義とはいえ、かりにこれを「石・岩の部」の「石」の「腰掛石」とか、「水の部」の「井」の「姿見の井」といったように認めたとしても、はたしてそれだけでこれにかかわる古くからの「いいつたえ」とか「いわれ」の内容を人々によく伝えることができるであろうか。もちろん『名彙』にいう事物の指摘は欠かせない要因である。しかし、反面それはあくまでも話の要因であるにすぎず、話そのものではない。けれども、通常伝説に興味と関心を抱く人々の期待は、やはりその「腰掛石」にまつわる諸国巡錫(じゅんしゃく)の弘法(こうぼう)大師の消息であり、さらにはまた義経(よしつね)や弁慶の物語ではなかったか。それを思えば、ここにみえる柳田国男の提案は、民間説話もしくは口承文芸としてのこの種の話の擁する性格、つまりは言語伝承といった面をややなおざりにしすぎたかの印象は否めない。もっとも柳田のこの方法は民俗学の立場からのそれであって、意図して伝説の文芸性を拒否した試みであるということならばやむをえない。いずれにしても、わが国にあって伝説研究の課題は、もっとも基本になるべき分類・整理そのものがまだ確定していない。同じようなことは世界的な見地からもいえるのであって、1961年から63年にかけて口承文芸の国際会議では、新たな伝説分類案が提示されたが、それとてもまだ全面的な支持を得るには至っていない。
[野村純一]
『柳田国男監修『日本伝説名彙』改版(1971・日本放送出版協会)』▽『武田静澄他著『日本の伝説』全50巻(1976~80・角川書店)』▽『小沢俊夫著『世界の民話 解説篇』(1978・ぎょうせい)』▽『飯豊道男編『世界の伝説』全10巻(1979~80・ぎょうせい)』▽『野村純一他編著『日本伝説大系』15巻・別巻1(1982~90・みずうみ書房)』▽『伊藤清司監修『ふるさとの伝説』全10巻(1989~90・ぎょうせい)』▽『山田野理夫編、高木敏雄著『日本伝説集』(1990・宝文館出版)』▽『吉田敦彦他著『世界の神話伝説 総解説』改訂増補版(2002・自由国民社)』▽『柳田国男著『日本の伝説』(新潮文庫)』▽『常光徹著『伝説と俗信の世界――口承文芸の研究2』(角川ソフィア文庫)』
民間説話,または口承文芸の一種。その内容が話し手とその周囲の人々に真実であると信じられている,過去のできごとに関して述べられた話をいい,古来,〈いいつたえ〉や〈いわれ〉と称されてきたもの,すなわち由来や口碑(こうひ)の一種といえる。しかし由来や口碑が現在の事物に関する説明や過去のできごとに関する話全般をさすのに対し,伝説は特定の土地にある具体的な事物と結びつけて語られる点で区別される。また,寺社の縁起(えんぎ)とも共通する点が多々あるが,縁起の成立には原則として僧侶や神官のような知識人が参与し,文字によって伝えられる点で,口承の文芸である伝説とは区別される。日本民俗学では,口承文芸のうち,一定のストーリーをもつものを語り物,昔話,伝説に大別している。そのなかでも伝説は,ことに神話の属性のうち内容が真実であると信じられている点を受け継いでいると認められる。伝説の同義語には,中国語の〈民間故事〉,英語のlegend,フランス語のlégende,ドイツ語のSageなどがあり,それらと比較,対照されてきたが,それぞれの文化における口承文芸のあり方は必ずしも同一ではないので,これらの言葉の意味や内容も完全に一致するわけではない。しかし一方で,これらの言葉が互いに共通して擁しているそこでのありようには特性として見過ごせない事実がいくつか指摘できる。
たとえば,伝説はいずれもかつての日にその内容が事実であったと信じられた歴史,もしくはそうした経過を有している。最初から話そのものを虚構であるとか,事実に反すると疑ったのでは,伝えられる契機を失ってしまうのである。したがって,話の内容が原古にさかのぼればのぼるほど,話自体のありようは神話に接近し,両者の区別はきわめて紛らわしい状況を示している。
ついで,伝説はそこでの歴史性,いうなればそれが事実であったことの証明として,過去に実際に惹起した事件,できごとの傍証を得るべく記念品もしくは事跡を用意する。話に関連する事物を確保,保存して積極的に事実の存在証明にする。具体化をはかるわけである。これによって,そこでの話はしばしば歴史的事実に寄り添って伝えられ,その時間的生命を獲得しようとした。このために伝説は,伝達の方法からしても,明らかに完結した一編の物語として伝えられている場合と,一方でごく簡単に眼前の事物伝来の説明のみにとどまっている場合とが生じている。
そこでいま,改めて以上の特性を要約するならば,そこにはまず第1に,こうした話に向けて,これを支持する人々の真摯,素朴な心持ち,信心があった。これを信仰,あるいは宗教性としてよい。第2に,話は歴史上のできごとにかかわって伝えられようとしていた。信憑性が重んじられていた。そのため事実追認の証拠品を要した。現実性,歴史性としてよい。第3に,話は一編の物語として起伏に富み,起承転結を整えている場合と,他方,矚目(しよくもく)の事実の由来をわずかに説く場合とがあった。つまり,話は常時,長短・伸縮が自在であった。これを統一された様式の欠如,つまり不定型の伝承とみることができる。もちろん,それぞれの国の状況下にあっては,必ずしもこれらがすべて共通の原則や条件であるとはいいきれない。しかし実際に抽出されたこうした性格は,昔話と比較したときに,その特色がよりいっそう顕在化してくる。
昔話は虚構や空想力にゆだねられた物語性の強い内容をもっていた。これはだれしもが承知している。したがって,昔話そのものに向けてそこでの真実性,もしくは現実性を期待するのはすでに認められない。そのため昔話では,話の根拠を証明する記念品や事跡は必要としなかった。さらに昔話はその伝達と享受に際しては,あらかじめ定められた語り始めの句と,直接それに対応する語り納めの句とが存在する。つまり物語の伝承様式はきちんと確定していた。それがため,結果として恣意的な内容の伸縮や省略はなし難い。これが常態である。以上の点から伝説と昔話との差異はすでに決定的であるとしてよい。
そこで,両者のこうした違いに着目して,19世紀初頭にドイツのグリム兄弟は〈昔話は詩的であり,伝説は歴史的である〉と説いた。一方,日本の研究者で早くにその種の見解を示したのは上田敏である。Folkloreの訳語に〈俗説学〉の語を用いた。それとともに彼は〈俗説学は単にお伽噺のやうな古来のハナシ又モノガタリのみを研究するのでは無く,一定時に於ける一民衆の心に存するあらゆるイヒツタヘの総体を吟味し取調べてよい〉とした。そのうえでさらに伝説,神話,お伽噺の相違については,まず〈一体ハナシには(一)娯楽の為にするハナシと(二)真実と信じるハナシとがある〉といい置いた後,〈お伽噺とこれら二者の区別如何といふに,古伝神話に現はれる神明,英雄等は,一定の名称を有ち,多くは一定の土地に関係して,嘗つて実際この世に存在してゐたとしてある。之に反して,お伽噺の世界はすべて漠としてゐる。今は昔とか,昔々あったとさとかいふばかり,人物の名も多く定まってゐず,何処とも誰とも,全く当がない〉と述べた。的確な判断と認識である。ただし上田敏の発言はそこまでで,日本における具体的な研究の進展は,他の先進諸国と同様,日本民俗学の黎明と勃興の時を待たなければならなかった。
その意味で,研究史上見のがすことのできぬ業績を残したのは高木敏雄(1876-1922)である。高木は日本に行われる話の実態にそくして,初めてこれを分類,整理し《日本伝説集》(1913)に具体案を示した。彼はモティーフを基準にして伝説を23群に分けた。(1)説明神話的伝説,(2)巨人・両岳背競伝説,(3)九十九伝説,(4)樹木伝説,(5)石伝説,(6)城跡・長者伝説,(7)金鶏呪詛伝説,(8)椀貸穴伝説,(9)抜穴伝説,(10)沈鐘伝説,(11)水界神話的伝説,(12)犬神・人狼伝説,(13)英雄伝説,(14)妻争伝説,(15)船橋伝説,(16)神婚伝説,(17)義犬塚・猿神退治伝説,(18)縁起伝説,(19)民間信仰(呪詛・怨霊・姥池など),(20)人柱伝説,(21)民間説話,(22)天然伝説,(23)準天然伝説,とするのがそれである。高木はこの書の〈凡例〉の中で〈分類目次中の種々の名目は,十中八九まで著者の考案に成ってゐるのであるから,解説の条に於て,それぞれ説明を加へることにした。尚此書全体の組立は,分類が自ら説明してゐる積りであるから,別に何も云はぬ〉といった。自負のほどがうかがえる。ただし(22)の項に限っていえば,現在いうところの〈動物昔話〉との区分はきわめてあいまいである。
これに前後して,柳田国男も早くからその分類と整理には深い関心を抱いていた。実際にその種の作業を試みており,《伝説十七種》とする書名まで用意していた。しかしそれは実現に至らず,途中で放擲された。その間の事情は南方熊楠(みなかたくまぐす)あて書簡で知りうる。しかして柳田は《石神問答(いしがみもんどう)》(1910)以後,《神を助けた話》(1920),《伝説》(1940),《木思石語(もくしせきご)》(1942),さらには《神樹篇(しんじゆへん)》(1953)といったぐあいに研究を重ね,やがて〈如何に内容では縁の深いものがあらうとも,其成立ちから見て伝説はハナシで無く,その世に伝はって居るのはコトであって,コトバで無かったことを感ぜずには居られない〉(《口承文芸史考》)とする独自の見解を表明するにいたった。その方法が端的に提示されたのが《日本伝説名彙》(1950)である。すなわち,そこでは中心をなす事物によって大きく6部門が立てられた。〈木の部〉-木,蕨(わらび)・芋・菜・薄・茅・蘆,〈石・岩の部〉-石・岩,〈水の部〉-橋・清水・井,湯・池・川・渡,堰・淵・滝・水穴,〈塚の部〉-塚(穴),〈坂・峠の部〉-坂・峠・山(岳・岡),谷・洞(崖・窟・沢・島・碓・瀬),屋敷・城趾(屋・田・村・森・畑・原),〈祠堂の部〉-地蔵,薬師・観音・不動(仁王・毘沙門・大師・権現・閻魔・如来・仏堂・鐘・弁天・稲荷・大明神・神社・宮),といったのがそうである。
こうしてみると,伝説に対する柳田国男の基本認識は高木に比較してきわめて狭く,散文的であり,かつ即物的であるのがわかる。物語性の介在する余地はほとんど認められない。しかし,たとえいかに事物中心とはいえ,単にこれを〈石・岩の部〉(腰掛石)とか,〈水の部〉(姿見の井)というぐあいに分類,整理しても,それだけではたして,それに関する〈いいつたえ〉とか〈いわれ〉の内容をいうことが可能であろうか。もちろんこの種の明快,簡潔な指摘は欠かせない要因である。しかしそれはあくまでも要因にすぎず,通常,伝説に興味と関心を寄せる人の期待は,やはりその〈腰掛石〉にまつわる弘法大師巡杖の話であり,さらには義経や弁慶の物語であった。そして〈姿見の井〉についていえば,王朝の美女小野小町が遠くひなの地にたどり着き,落魄(らくはく)したその身を水に映したとする一編の物語ではなかったのか。それからすれば,ここにみえる柳田の方法は,民間説話,もしくは口承文芸としての伝説のもつ性格,すなわち言語伝承といった面をやや軽視し過ぎたかの印象が強い。もちろんその際,《日本伝説名彙》の内容はそこでの最終的な分類案そのものではなく,むしろ伝説採集作業への指標,もしくはそれへの目安とも考えるならば,話はまた別である。
それはともかくも,このように最も基本的な分類整理の問題に限ってしても,日本における伝説研究の状況はあいかわらず不安定であり,また不十分である。もっともこの事態は世界的な見地からも同じくいえることである。1961年から63年にかけて口承文芸の国際会議では,あらたな伝説分類案が提示されたが,それとてもまだ全面的な支持を得るにいたっていないのが現状である。
→口承文芸 →神話 →昔話
執筆者:野村 純一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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【日本の昔話】
冒頭に〈むかし〉とか〈むかしむかし〉という句を置いて語りはじめる口頭の伝承で,土地によってはムカシあるいはムカシコと称される。
[昔話の概念]
昔話は伝説や世間話とともに民間に行われる代表的な口頭伝承の一つである。これを始めるに際しては,必ず〈むかし〉とか〈むかしむかし〉の発語があり,またこれの完結に当たっては〈どっとはらい〉とか〈いっちご・さっけ〉あるいは〈しゃみしゃっきり〉といった類の特定の結語を置いた。…
※「伝説」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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