堀川の一条大路に架かる橋。古代・中世を通じて京域の境とされ、また橋占を行う場所として多くの伝承を生んだ。
「権記」長徳四年(九九八)一二月二五日条に「自上東門
東行、至
万里路
更北行、自
戻橋路
、出
鴨下御社西堤下
」とあるのが初見。この年六月に決壊した鴨川堤の調査に赴いた蔵人頭藤原行成が、鴨川堤に着くまでの道順を記した所であるが、これによると一条大路を別称戻橋路と称していたものと思われ、堀川に架かる一条戻橋の存在をうかがわせる。一条戻橋は平安中期の「新猿楽記」に、秀句のない猿楽者として一条戻橋の徳高の名をあげ、彼がこの橋の近くに住んでいたことを思わせる。「和泉式部家集」には「やましろのもどり橋を」と詞書して次の歌がある。
「源氏物語」にも「行くは帰るの橋」と出る。
橋名の由来は、「撰集抄」に「一条の橋をばもどり橋といへるは、宰相
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…橋の名称に注意すると,たとえば,〈戻り橋〉というのは,昔,西行がここにきて,子どもと問答して,行く末が暗示され,そのまま橋を渡らず引き返したというモティーフである。京都一条堀川の一条戻橋は,橋のところで死者が蘇生(そせい)した話に由来する。平安時代の学者三善清行が死んだとき,子の浄蔵貴所は,熊野参詣の途次で不在だった。…
…同書にこの鬼は物ねたみから貴船明神に祈って鬼女となった宇治の橋姫であったと伝えるところからすると,この鬼は本来は水神で,河童が馬を水に引き込もうとして腕を切られ,それを取り返しに来る話と同源の話であったと思われる。鬼女が出現するのも一条戻橋,五条渡しなど,川の渡渉地点であったことが注目され,元来,渡辺党は難波の渡辺の地を中心に蟠踞し,渡場,橋詰などで渡渉の力役に従事し,水霊鎮斎,水難防止などの呪術に携わっていたのではないかと推定する説もある。綱というのも,人名でもあるが同時に綱渡し,籠(かご)渡しに用いられる渡渉具の綱とも響き合っており,この説話は,本来,渡辺党の家屋が東屋造になっていることの由来譚ではなかったかともいう。…
※「一条戻橋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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