朝日日本歴史人物事典 「一栢」の解説
一栢
戦国時代の僧。儒,医,暦,陰陽に通じた。名は現震。一栢は軒号で雲庵,連山人とも号した。もと南都の僧といい,入明した経歴があるともいう。永正6(1509)年ごろ和泉(大阪府)にあり,同11年以前には京に住して,易学を教えた。同17年以前に朝倉孝景に招かれ,越前(福井県)一乗谷に住した。享禄2(1529)年には一乗谷で日月食を算出し,天文5(1536)年には孝景の命により,明の熊宗立の医学書『八十一難経』を校正して出版した。このころ,三条西実隆との交信があるが,門下の天沢崇春が一栢のもとを離れる弘治2(1556)年を最後として,消息は不明。<参考文献>平泉洸「越前国一乗ケ谷版の医書と一栢老人」(『芸林』11巻2号)
(脊古真哉)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報