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一栢 いっぱく

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

一栢 いっぱく

?-? 戦国時代の僧。
儒学,医学,暦学,陰陽(おんよう)学に通じる。越前(えちぜん)(福井県)の守護朝倉孝景(たかかげ)にまねかれ,一乗谷(福井市)に滞在。享禄(きょうろく)2年(1529)日月食を計算し,天文(てんぶん)5年(1536)明(みん)(中国)の医書「八十一難経(なんけい)」を校正,出版した。朝倉氏の家臣三段崎安指(みたざき-あんし)(のち三崎玉雲)を養子とし医法をつたえた。俗姓は谷野。名は現震。別号に雲庵,連山人。著作に「易学啓蒙通釈口義」。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

一栢

生年:生没年不詳
戦国時代の僧。儒,医,暦,陰陽に通じた。名は現震。一栢は軒号で雲庵,連山人とも号した。もと南都の僧といい,入明した経歴があるともいう。永正6(1509)年ごろ和泉(大阪府)にあり,同11年以前には京に住して,易学を教えた。同17年以前に朝倉孝景に招かれ,越前(福井県)一乗谷に住した。享禄2(1529)年には一乗谷で日月食を算出し,天文5(1536)年には孝景の命により,明の熊宗立の医学書『八十一難経』を校正して出版した。このころ,三条西実隆との交信があるが,門下の天沢崇春が一栢のもとを離れる弘治2(1556)年を最後として,消息は不明。<参考文献>平泉洸「越前国一乗ケ谷版の医書と一栢老人」(『芸林』11巻2号)

(脊古真哉)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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