一番丁
いちばんちよう
[現在地名]高松市錦町一―二丁目
高松城下西部にある武家屋敷。天正一六年(一五八八)生駒親正が高松城築城の際、城の南西に隣接して武家屋敷が置かれたと考えられる。生駒氏時代屋敷割図・高松城下図屏風には一番丁の通りの記載しかないが、寛永一七年(一六四〇)生駒氏改易により松平氏に引渡された西浜屋敷は一八四軒で(生駒家廃乱記)、高松藩分限帳の天明七年(一七八七)分の浜ノ丁から五番丁までの屋敷数とほぼ一致する。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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