改訂新版 世界大百科事典 「七月三日事件」の意味・わかりやすい解説
七月三日事件 (しちがつみっかじけん)
1946年7月2日から3日にかけてインドネシアで起こったクーデタ未遂事件。前年8月に独立を宣言したインドネシア共和国は,独立の実質を獲得するため旧宗主国オランダと戦争状態にあったが,国内ではジャワ島とマドゥラ島に限定して主権を回復しようとする〈外交派〉と呼ばれる穏健派と,全領土の完全独立をめざす〈闘争派〉と呼ばれる強硬派が拮抗していた。この事件では,後者がシャフリル首相ら外交派の政府要人を拉致し,権力の奪取をはかったとされる。計画は失敗してタン・マラカら闘争派は封じ込められ,以後,シャフリルの親西欧協調路線が大枠としてインドネシアの政治をリードする契機になった。事件には謎が多く,反対派の一掃を狙った政府の陰謀であるという説もある。
執筆者:押川 典昭
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報