日本歴史地名大系 「七郎右衛門町二丁目」の解説 七郎右衛門町二丁目しちろうえもんちようにちようめ 大阪府:大阪市東区七郎右衛門町二丁目[現在地名]東区横堀(よこぼり)二丁目七郎右衛門町一丁目の南に続く町で、伏見町(ふしみまち)通少し北より淡路町(あわじまち)通まで。大坂三郷北組に属し、延宝七年(一六七九)の屋敷数二五・役数三一役で、うち惣年寄分・町年寄分各一役が無役。町年寄は野田屋市郎右衛門(同年「水帳」中之島図書館蔵)。元禄一三年(一七〇〇)の三郷水帳寄帳でも屋敷数・役数・無役数は変わらず。町内には火の見梯子があった(国立史料館蔵土屋家文書)。宗旨組合は七郎右衛門町一丁目に同じ。町内居住の惣年寄は木屋七郎右衛門家で、寛永四年(一六二七)初めて惣年寄に任命されて以後代々継いだ。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by