万丁目通
まんちようめどおり
盛岡藩三三通の一つで、設置の時期は不明。「岩手県史」は、寛文六年(一六六六)から天和三年(一六八三)までの間に藩内総検地が行われ、その結果三三通が確定したと推定する。同二年の惣御代官所中高村付によると所属村は里川口・北万丁目・南万丁目・花巻・円満寺・膝立・上根子・鍋倉・下根子・西晴山・湯口・下シ沢・鉛・豊沢の一四村(花巻・上根子・北万丁目・南万丁目は二筆に分けて記される)、いずれも稗貫郡に属し、蔵入高六千九五九石余、七ヵ年平均の免は四ツ三分八厘一毛、米納三千四九石余、うち大豆一三六駄。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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