花巻城下(読み)はなまきじようか

日本歴史地名大系 「花巻城下」の解説

花巻城下
はなまきじようか

[現在地名]花巻市四日町よつかまち一―三丁目・下幅したはば愛宕町あたごちよう一日市ひといち坂本町さかもとちよう大通おおどおり一―二丁目・花城町かじようまち城内じようない御田屋町おたやちよう高田たかだ吹張町ふつぱりちよう末広町すえひろちよう鍛冶町かじまち仲町なかまち上町かみちよう双葉町ふたばちよう豊沢町とよさわちよう東町あずまちよう西大通にしおおどおり一丁目・南川原町みなみかわらちようなど

花巻町・花巻御町・花巻三町ともよぶ。北上川と豊沢川の合流点北西にある花巻城を中心に、同城の北西から西・南・南東に広がる町。宮野目みやのめ村から入った奥州街道が城の西側を南に向かい、城の南西で東に折れ、さらに南に折れて豊沢川を渡り下根子しもねこ村に向かう。天明五年(一七八五)九月に当地を訪れた菅江真澄は「花巻といふうまやあり、むかしや牧のありけるやらんととふに、さはこたへず、むかしは河岸に花多くありてちりうく頃、水にうづまかれてたゆたふよりいひし名とこたふ」(けふのせば布)と花巻の名の由来を記す。

中世花巻城は鳥谷とやさき城とよばれ、稗貫ひえぬき郡に勢力を張った稗貫氏の本城であった。天正一八年(一五九〇)以降南部信直領となり、城も花巻城と改称された。翌年信直は同城に郡代北秀愛を置き、和賀・稗貫二郡八千石を与えて仙台藩に対する警備の要とした。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報