万呂王子跡(読み)まろおうじあと

日本歴史地名大系 「万呂王子跡」の解説

万呂王子跡
まろおうじあと

[現在地名]田辺市上万呂

上万呂かみまろ東端左会津ひだりあいづ川に架かる熊野橋の北方約五〇メートル、通称みやだんとよばれる二〇〇坪ほどの地(現在畑地)にあった熊野九十九王子の一。「後鳥羽院熊野御幸記」建仁元年(一二〇一)一〇月一三日条に、秋津あきづ王子を過ぎて、次に「超山参丸王子」とあるが、この丸王子が万呂王子のこととされ、正中三年(一三二六)以前の成立とされる熊野縁起(写、仁和寺蔵)や文明五年(一四七三)の「九十九王子記」には「麻呂王子」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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