三元里事件(読み)さんげんりじけん(その他表記)San-yuan-li shi-jian; San-yüan-li shih-chien

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三元里事件」の意味・わかりやすい解説

三元里事件
さんげんりじけん
San-yuan-li shi-jian; San-yüan-li shih-chien

中国,アヘン戦争最中に発生した反英運動。平英団事件ともいう。道光 21 (1841) 年4月,広東協約が締結され,広州を攻撃するイギリス軍と清軍は休戦状態に入った。そこで四方砲台を占拠していたイギリス軍 1000人余が撤退のため,広東省城北方の三元里を通過しようとしたとき,長槍,剣などで武装し,平英団の旗を掲げた村民包囲攻撃され,多数の兵士が殺傷された。まもなく広州知府の説得で平英団は解散したが,この事件は広東省民のその後十数年に及ぶ反英運動の発端となった。

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