日本大百科全書(ニッポニカ) 「平英団」の意味・わかりやすい解説
平英団
へいえいだん
中国、アヘン戦争末期、広東(カントン)省城北方の三元里における反英闘争の中心勢力となった組織。1841年5月30日、三元里において平英団の旗を掲げ武装した民衆がイギリス軍を襲い、さらに付近の民衆数千人が参加し、前後3日にわたりイギリス軍を包囲攻撃した。これは以後十数年に及ぶ広東の反英闘争の発端となった。このころ、イギリス軍の略奪暴行が頻発したが、官憲は無策であったため、村落ごとに有力地主の指導のもとに、自衛組織ともいうべき社学が組織されていた。本来社学は各村の士大夫(したいふ)の子弟の教育機関であったが、19世紀中ごろからは村落自衛ないし自治的な機能をもつようになっていた。三元里事件ののちも、社学は各地で相次いで組織され、男子を募集し武装訓練を施した。三元里一帯の昇平社学はそのなかでももっとも強力なもので、これら社学が、イギリス人の広東省城への入城反対の闘いなどを指導した。
[高橋孝助]