広州(読み)コウシュウ

百科事典マイペディアの解説

広州【こうしゅう】

中国,広東省の省都。上海,北京に次ぐ中国第三の都市で,2010年国務院により,国家五大中心都市の一つに指定された。古名番禺(ばんぐう),古代では百越の地である。乾隆帝時代の1757年唯一の対外貿易港となり,1842年の南京条約以後発展した。華南最大の政治・商工業・文化の中心地である。京広鉄路をはじめ広三(広州〜三水)・広九(広州〜九竜)の三つの鉄路の連絡点にあり,また珠江の船運の基点でもあるが,海港としては浅いので,東15kmの黄埔が外港となっている。【とう】小平による開放政策で,深せん・珠海の経済特区を有する広州は急速な経済発展を遂げ,対外貿易額は全国第3位となる。貴州・湖南・江西諸省との国内貿易も盛ん。地下鉄,高速道路も整備され,造船,自動車,セメント,製紙,化学繊維などの近代工業や電子工業も発展している。文化教育機関も多く,広東,中山,曁南の各大学,中山医学院,華南化工学院,南方日報社などがある。中国革命の発祥地。孫文はこの地を臨時首都とし,多くの革命家・軍人を養成した黄埔軍官学校を設置した。1927年の中国共産党の武装蜂起広州コミューンが有名。日本では戦前からカントンと呼びならわしてきた。823万人(2014)。
→関連項目海関海禁経済特区市舶司中華人民共和国

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世界大百科事典 第2版の解説

こうしゅう【広州 Kwangju】

韓国,京畿道中央部の。ソウルの南東に隣接する。漢江支流に沿って狭い平野がみられるが,大部分丘陵地となっている。古代に馬韓諸族の根拠地となり,百済(くだら)王朝の基礎を築いた。李朝時代には首都ソウルを防備する四鎮の一つとして南漢山城が築かれた。丘陵地を開墾した畑地では,ソウル特別市の大人口を背景として園芸,畜産酪農などの商業的農業が盛んとなっている。ソウルの膨脹に伴い,そのベッドタウン化も顕著であり,1973年には郡の一部が城南市として分離された。

こうしゅう【広州 Guǎng zhōu】

中国,広東省の省都。華南最大の都市で,広東省の政治,経済,文化,交通の中心地である。広東(カントン)ともいわれる。面積1万1300km2,人口約544万,うち市街区302万5000(いずれも1981)。別名は羊城または穂城。珠江三角州の北端に位置し,西江北江東江の合流地。市街は珠江の両岸にまたがり,花,従化,新豊,竜門,増城,番禺の6県を管轄する。広州周辺の地勢は北高南低で,平均気温は1月が13.6℃,7月が28.2℃,年平均が21.9℃である。

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大辞林 第三版の解説

こうしゅう【広州】

中国、広東カントン省の省都。珠江デルタに位置する港湾都市。華南地方最大の都市で、機械・食品・織物などの工業が発達。革命運動の発祥地の一つで、その史跡が多い。広東。コワンチョウ。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

広州
こうしゅう / コワンチョウ

中国南部、広東(カントン)省中部の副省級市(省と同程度の自主権を与えられた地級市)で、商工業・港湾都市。広東省の省都。略称は穂。珠江(しゅこう)デルタの北端、東江・西江・北江の合流点に位置し、香港(ホンコン)特別行政区、東南アジアへの中国の南の玄関にあたる交通と貿易の中心地である。越秀(えつしゅう)、海珠(かいしゅ)、黄埔(こうほ)など11市轄区を管轄する(2018年時点)。戸籍人口822万3000、常住人口1283万8900(2012)。市部の中心は珠江北岸である。
 亜熱帯モンスーン気候に属するため年平均気温は20~22℃と温かく、年降水量は1720ミリメートル。一年中各種の花が咲くところから花の町ともよばれ、春節(旧正月)の花市(はないち)が有名である。また「食は広州にあり」といわれるように、中国南部の料理を代表する広東料理の本場でもある。福岡市、登別(のぼりべつ)市と姉妹都市提携を結ぶ。[青木千枝子・河野通博・編集部]

歴史

欧米人の呼称カントンCantonは、ポルトガル人のいうKhantoがなまったもの。別名は花城または羊城。古くは越、粤(えつ)、百粤などといわれた漢民族以外の住地。秦(しん)の始皇帝が紀元前214年、犀角(さいかく)、象牙(ぞうげ)、ひすいなどを求めて経略したころから史書に現れる。漢以後、漢民族の移住者も増え、南海諸国やミャオ族(苗(びょう)族)との珍貨の交易で栄え、8~12世紀の唐・宋(そう)代には、アラビア商人の来航で発展した。綿、象牙、薬材、香料、宝石などを輸入、絹、茶、陶器などを輸出し、その額も多く、市舶司(しはくし)を置いて徴税し、蕃坊(ばんぼう)という自治的居住地を設けて12万の外国人を住まわせた。
 元以後はやや衰えたが、明(みん)の中期1516年、ポルトガル人の来航以後ふたたび栄え、清(しん)代にはスペインなど後続の各国の商船も訪れるようになり、さらに繁栄した。粤海関(えっかいかん)という税関と広東十三行という政府御用商館とを置いて、外国貿易船と対応し貿易を制限したのでアヘン戦争を誘発し、2年後の南京(ナンキン)条約で開港された。
 以後、順調に発展し、新思想の流入地、革命の基地としても知られ、現在は春・秋2回、国際交易会が開かれて、海外貿易の拠点としての本領を発揮している。なお珠江には30万の水上生活者(蛋民(たんみん))がいたのもこの市の特徴であったが、2015年には7000人程度に激減していると報道された。[星 斌夫]

産業・交通

華南地区の交通の要衝で、京広線、広深線(広州―深(しんせん))、広茂線(広州―茂名(もめい))、広梅汕(こうばいさん)線(広州―梅州(ばいしゅう)―汕頭(スワトウ))や、2009年開通の武広高速鉄道(武漢(ぶかん)―広州)、2014年開通の貴広高速鉄道(貴陽(きよう)―広州)などが通じる。港は市内の広州港のほかに、1937年東郊に開かれた黄埔港がある。広州港の2016年(速報値)のコンテナ取扱量は1889万TEU(twenty feet equivalent unitの略で20フィートのコンテナに相当する換算値)で、世界7位であった。市中心部の北約28キロメートルには広州新白雲国際空港があり、国内主要都市のほか、アジアや中東、ヨーロッパの各都市とも結ばれる。
 市内には鉄鋼、造船、機械、化学などの重化学工業があり、とくにテレビ、洗濯機、冷蔵庫など家電工業が盛んである。軽工業では伝統的な絹・麻・綿などの繊維工業、果物・魚類などの缶詰、製紙、雑貨などがある。
 市街には亭子脚(アーケード)のある古い繁華街がみられる一方で、高層のビルが建ち並ぶ。1980年代以後の改革開放政策の重点が広東省に置かれていたために、外国資本との協力による工業化は省都たる広州でも盛んであった。1984年には沿海対外開放14都市の一つに指定され、黄埔地区の経済開発を中心に、先進的な工業技術を導入した工場建設が進展した。2000年以降は自動車部品、電子部品、石油化学工業が基幹産業となっており、トヨタ自動車、本田技研工業(ホンダ)をはじめとする日本企業が拠点を置いている。[青木千枝子・河野通博・編集部]

文化・観光

市内には古代南越国の王墓のほか、珠江の堆積作用による陸化の跡をたどるように、古い海岸線に沿って六榕寺(ろくようじ)(537建立)、光孝寺(こうこうじ)(旧称、制旨寺(せいしじ)。建立時期不明)、懐聖寺(かいせいじ)(唐代建立)などの古寺が残っており、北部の越秀山には明代に建設された鎮海楼(ちんかいろう)がある。アヘン戦争以後は辛亥(しんがい)革命の拠点となったため、革命の歴史を語る建造物も多く、1911年の黄花岡(こうかこう)事件の英雄墓地、1927年の広州コミューンの犠牲者を祀(まつ)る広州起義烈士陵園、農民運動講習所跡、中山(ちゅうざん)記念堂、黄埔軍官学校などがある。
 省都として政治の中心であるばかりでなく文化の中心でもあり、総合大学である中山大学のほか、華南工学院、中山医学院、華南農学院などの単科大学が多数ある。また曁南(きなん)大学は華僑(かきょう)、香港、マカオ、台湾籍の学生、帰国華僑を主として受け入れる。そのほか各種の専門学校も多い。香港などとともに広東語使用の中心地としても知られる。[青木千枝子・河野通博・編集部]

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精選版 日本国語大辞典の解説

こうしゅう クヮウシウ【広州】

中国広東省の省都。珠江三角州の北端にあり、華南地方の政治、経済、文化の中心となっている。秦代に南海郡、三国呉代に広州が置かれ、唐代以後は華南最大の貿易港として繁栄した。

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