三右衛門興野村
さんえもんごうやむら
[現在地名]中之島村六所
赤沼村枝郷浦小路・高山新田の南に立地。新発田藩の慶長一〇年(一六〇五)の給知方村々高目録(新発田市史資料)に、島田村・池之島村に続いて記される「三郎右衛門興野」は当村と思われ、水入荒二三石三斗七合。給人知行地で、この時の給知高はすべて水害による荒廃田であった。同一五年頃の給知方ほど役帳(同資料)には三右エ門こうや村とあり、二軒に三斗五升の炉役が課されている。
寛文七年(一六六七)と推定される御領内見分之書付(貴船家文書)には当村の名がみえず、中新田と六所興野の間に栗林村とあり、物成高は三九石七斗余、家数九・人数五四。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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