日本歴史地名大系 「中之島村」の解説
中之島村
なかのしまむら
新発田藩主溝口秀勝入封当初の御領内高付帳(新発田市史資料)に中ノ島村とあり、九七四石一斗。慶長一七年(一六一二)の御蔵納同払方帳(同資料)に「中ノ島杉森村」として一二六石八斗余・同村開分一四石八斗余・同ほど役三石二斗などとみえ、藩主蔵入地であった。寛文四年(一六六四)の郷村高辻帳では五〇七石四斗余。同七年と推定される御領内見分之書付(貴船家文書)によると物成高三〇二石九斗余、家数八〇・人数五三三。正徳四年(一七一四)の中之島組田畑并万郷帳写(大竹邸記念館蔵)には中之島町とあり、田五一町七反余・分米二一四石七斗余、畠四六町六反余・分米九九石五斗余、家数本家二五・名子家三・間脇家六一・借家一五、人数男三七三・女三三〇。
中之島村
なかのしまむら
- 島根県:益田市
- 中之島村
高津川と益田川下流三角洲の中央部に位置し、南は
中之島村
なかのしまむら
中之島村
なかのしまむら
- 大阪府:池田市
- 中之島村
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報