日本歴史地名大系 「三宿村」の解説 三宿村みしゆくむら 東京都:世田谷区三宿村[現在地名]世田谷区三宿一―二丁目・太子堂(たいしどう)一丁目・同三丁目・池尻(いけじり)四丁目・下馬(しもうま)二丁目池尻村・池沢(いけざわ)村の西にある。荏原(えばら)郡に属する。南部を矢倉沢(やぐらさわ)往還が北東から南西に通り、烏山(からすやま)用水が中央を東へ流れる。上北沢(かみきたざわ)分水も北の下北沢村から入り、池尻村へ抜ける。田園簿に三宿村とあり、田五石余・畑八石余、旗本竹生(竹尾)領。竹尾氏は寛永二年(一六二五)より元禄八年(一六九五)まで知行し(寛政重修諸家譜)、以後幕末まで幕府領(旧高旧領取調帳など)。享保五年(一七二〇)に北方に二町四方の新田が開かれたとされるが、開発者は不明(風土記稿)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by