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三戸城 さんのへじょう

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日本の城がわかる事典の解説

さんのへじょう【三戸城】

青森県三戸郡三戸町にあった連郭式の山城(やまじろ)。南部家第24代の南部晴政が永禄年間(1558~69年)に築城した居城で、南部氏宗家発祥の城と呼ばれている。当地には当時の石垣、土塁が現存し、移築・復元された城門と模擬天守閣が建っている。晴政はそれまで聖寿寺館(本三戸城)を居城としていたが、1539年(天文8)に家臣の放火により焼失。自然の湧水に恵まれた独立丘陵の留ヶ崎に三戸城を築いて居城とした。1591年(天正19)の九戸政実(くのへまさざね)の反乱後、豊臣秀吉から九戸城(福岡城)を与えられ居城とするまで、南部氏の主城となった。江戸時代初めに盛岡城(不来方(こずかた)城)が完成し、藩主が居城を移すと、三戸城には城代が置かれ、その後、同城は三戸御古城と呼ばれるようになった。現在、城跡は城山公園として整備されており、1967年(昭和42)には模擬天守「温故館」が建設され、内部は歴史資料館になっている。また、1989年(平成1)には山麓に綱御門が復元された。青い森鉄道線三戸駅からバスで城山公園前下車後、徒歩約15分。または同駅からタクシー約10分。◇留ヶ崎城ともいう。

出典|講談社
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世界大百科事典内の三戸城の言及

【三戸[町]】より

…町の東端を馬淵(まべち)川が北流し,支流の猿辺川,熊原川沿いに集落が分布する。戦国時代から南部氏の拠点となり,熊原川と馬淵川の合流点に近い城山に三戸城が築かれ,城下町として発展,1633年(寛永10)南部藩主の居城が正式に盛岡に移されるまでは南部地方の中心であった。その後は城代が置かれ,町奉行が支配したが,貞享年間(1684‐88)に城代が廃され,代官に代わった。…

※「三戸城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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