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九戸政実 くのへ まさざね

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

九戸政実 くのへ-まさざね

?-1591 織豊時代の武将。
陸奥(むつ)三戸(さんのへ)(岩手県)南部氏支族九戸城主。天正(てんしょう)18年豊臣秀吉に反抗しておきた大崎・葛西(かさい)一揆(いっき)をきっかけに南部氏にそむく。蒲生氏郷(がもう-うじさと)軍に包囲され天正19年9月4日落城,斬首された。通称は左近将監

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

九戸政実

九戸城を本拠に数々の武勇を発揮し、北東北で有数の勢力を誇った。だが、後継者問題を機に南部宗家と対立。天正19(1591)年、政実は5千の兵で蜂起した。苦戦した南部家当主信直から助けを求められた豊臣秀吉は討伐軍を編成し、6万5千の兵で九戸城を取り囲んだ。数日間の攻防の末、政実は「降伏と引き換えに城兵の命を救う」との討伐軍の和議を受け入れて投降。斬首され、一族郎党皆殺しに遭ったとされる。

(2017-06-17 朝日新聞 朝刊 岩手全県・1地方)

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朝日日本歴史人物事典の解説

九戸政実

没年:天正19(1591)
生年:生年不詳
戦国時代の武将。信仲の子,左近将監。南部氏の支族で陸奥国九戸地方を領有し,九戸城(岩手県二戸市)に居城。当時,南部家の統制はゆるく九戸家は同族の八戸家や津軽大浦氏と共に半独立状況にあった。しかも,南部家では晴政,晴継が相次いで死去したため,政実はそのあとを継ごうとしたが同族の石川家から信直が入嗣して南部家(三戸氏)の当主となり,両者は対立。天正19(1591)年3月政実は公然と信直に反乱(九戸の乱)。これに対し豊臣秀吉は浅野,蒲生各氏らを向かわせ,信直軍と九戸城を包囲した結果,9月に落城。政実は二本松の豊臣秀次の本陣に送られて斬首された。

(伊藤清郎)

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