三本木五丁目
さんぼんぎごちようめ
南北に通る東洞院通(旧東洞院大路)の両側町で、北は竹屋町通(旧大炊御門大路)、南は夷川通(旧冷泉小路)。
平安京の条坊では、町の西側は左京二条三坊三保一三町東、東側は左京二条四坊二保三町西。平安中期以降は大炊御門東洞院大路の南にあたる。平安時代中期には当町西側に藤原通任の家があった(「日本紀略」長和五年一二月一〇日条)。
町名は、寛永一四年(一六三七)洛中絵図に「三本木五町目」とみえ、筆描図系では以降変化はない。木版図系では、寛永一八年以前平安城町並図は「いつゝや町」とし、以降寛保初京大絵図までは「いつつや町」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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