日本歴史地名大系 「二町目」の解説 二町目にちようめ 兵庫県:赤穂市赤穂城下二町目[現在地名]赤穂市加里屋(かりや)・加里屋南(かりやみなみ)一町目の北の両側町。東は川端の木戸、中央で南北の通(とおり)町と交差し、西は横(よこ)町筋までの東西に二町の町筋(宝永元年加里屋町絵図)。松平輝興時代絵図に「二丁目」とみえ、古くは対岸の中(なか)村への渡場があったので中村町とよぶ時代もあった(「赤穂由来記」吉栖家蔵)。加里屋町絵図によると家数二九、うち借家九。町筋の西詰に町会所が横町筋に向かって立地する。 二町目にちようめ 京都市:上京区中立学区二町目上京区東堀川通上長者町下ル南北に通る東堀川(ひがしほりかわ)通に西面する片側町で、北は上長者町(かみちようじやまち)通。平安京の条坊では左京一条二坊四保九町の西側の地で、平安中期以降は土御門大路(つちみかどおおじ)堀川小路南の地。官衙町の「左兵衛町」にあたる(拾芥抄)。寛永一四年(一六三七)洛中絵図に「堀川弐町目」、寛文五年(一六六五)刊「京雀」に「堀川ざいもく町」とあり、宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」に「二町目」と出る。 二町目にちようめ 京都市:上京区出水学区二町目上京区松屋町通椹木町上ル南北に通る松屋町(まつやまち)通を挟む両側町。平安京大内裏「東前坊」(東雅院)の跡地(「拾芥抄」の宮城指図)。寛永一四年(一六三七)洛中絵図に「弐丁目」とみえ、以後この呼称が多く用いられたが、寛文後期洛中洛外之絵図には「松や二丁め」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by