日本歴史地名大系 「三条万里小路邸跡」の解説
三条万里小路邸跡
さんじようまでのこうじていあと
右大臣九条兼実の邸跡。兼実の日記「玉葉」の嘉応二年(一一七〇)一二月二六日条に「此日、下官渡居三条万里小路第
、件家、隆輔朝臣家也、而自
院召
之、被
奉
借
摂政
、此四五年来所
被
居住
也、而是間、皇居為
大内
、摂政被
坐
閑院
、近日依
無
居住之人
、所
借
申摂政
也、破損之為
体、已以荒蕪、然而為
避
遼遠之煩
、強所
渡住
也」とあって、もとは、前長門守藤原隆輔の邸であったが、後白河院が召上げ、摂政藤原基房の邸としていたが、近年空家となっていたので兼実が借受けたらしい。破損し荒廃していたのをわざわざ借受けた理由を兼実は、自分の本邸である
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報