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三案 さんあんsan-an

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

三案
さんあん
san-an

中国,明末に党争の具となった梃撃,紅丸,移宮の3事件。万暦帝は長子常洛の年が長じているにもかかわらず,次子常洵の母鄭貴妃を寵愛するあまり太子を立てなかった。万暦 21 (1593) 年には3皇子を王に封じて立太子の延期を策したが,顧憲成ら正義派官僚の反対にあい,ついに長子常洛を皇太子に立てた。しかしその後も帝は福王に封じた常洵のみを厚遇し,皇太子を冷遇したため,以後皇太子問題をめぐって党争が絶えなかった。三案はいずれもこの皇位継承をめぐる権力争いに端を発している。梃撃とは同 43年張差という男が梃 (丸太棒) をもって東宮御所を襲撃した事件,紅丸とは泰昌1 (1620) 年病弱な光宗が立ち,丸薬を飲まされ死亡した事件,移宮とは光宗の没後 (20) ,熹宗天啓帝が立ち,側近の宮人李選侍を引離して他宮に移した事件をいう。

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世界大百科事典内の三案の言及

【東林党】より

…この書院には,江南を中心に,時の政治に不満を持つ在野の人士が集まって,当面する政局を論じ,政府を批判して,相当の影響力をもった。万暦末年から泰昌・天啓初年にかけて,皇帝権をめぐっていわゆる三案(挺撃(ていげき),紅丸,移宮の3問題)が発生すると,彼らは反対派の陰謀を追及して,はげしい論争を展開する。そして一時政界に復帰したものの,宦官魏忠賢を中心に閹党(えんとう)が形成され,特務機関(東廠)を利用した一種の恐怖政治が行われると,その血なまぐさい弾圧に遭遇しなければならなかった。…

【明】より

…これが礦税の禍と称されるもので,民衆の疲弊と社会の混乱を増幅した。この間,官僚層の中に正義派と目される東林派が形成され,万暦末から天啓初にかけて,立太子問題にからむ挺撃案をはじめ,紅丸案,移宮案のいわゆる三案とよばれる三つの事件をめぐって激烈な党争が展開された(東林党)。 おりから遼東では建州衛を中心とする女真族が後金国を建て,明の東北辺を脅かした。…

※「三案」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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