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立太子 りったいし

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

立太子
りったいし

立坊 (りゅうぼう) ,立儲 (りっちょ) ともいう。公式に皇太子を立てること。現代では皇長子はおのずから皇太子となるが,もともとは立太子礼を経て初めて定まった。立太子礼の制度確立は平安時代初期で,立太子礼は紫宸殿で行われ,王卿参列,天皇,某親王出御,宣命使が某親王を皇太子と定める宣命を奏し,皇太子振舞を経て,式を終る。のち護身のため壺切剣が天皇から皇太子に伝えられるようになった。これらの要領は,おおむね現代にも及んでいる。

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デジタル大辞泉の解説

りっ‐たいし【立太子】

公式に皇太子を立てること。立坊。立儲(りっちょ)。

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百科事典マイペディアの解説

立太子【りったいし】

公式に皇太子を立てること。現行皇室典範では皇長子は生まれながら皇太子であるが,かつては立太子のを経て初めてその地位が確定された。現在は法的規定はなく,旧例に準じて行われる。

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世界大百科事典 第2版の解説

りったいし【立太子】

皇太子立することをいい,皇嗣が皇子であっても皇孫,皇兄弟あるいはその他の皇親であっても,皇太子と称した。《貞観儀式》に〈立皇太子儀〉があり,それによると立太子の儀は紫宸殿の前庭において親王以下百官参列のもとに行われ,宣命大夫が立太子の宣命を宣する。この宣命の儀は立太子の儀の中心として長く踏襲された。904年(延喜4)醍醐天皇の皇子保明親王の立太子のときから〈壺切の剣〉を授けるのが例となった。立太子の儀は後小松天皇から後西天皇に至る300年間中絶したが,霊元天皇1683年(天和3)の再興のときから,立太子の儀に先立ち儲君治定(ちよくんじじよう)の行われるのが例となった。

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大辞林 第三版の解説

りったいし【立太子】

皇太子を定めて、公式にその地位につけること。皇太子に冊立さくりつすること。立坊りつぼう。 「 -の儀」

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世界大百科事典内の立太子の言及

【皇位継承】より

…そして天智朝に至り,中国より継受した嫡長子相続主義にもとづく皇位継承法が定められたとも説かれている。しかし爾後の実例に徴すると,皇嗣の選定は,嫡系男子の優位を認めながらも,天皇(あるいは上皇)の勅定するところであり,明治の皇室典範制定以前は,立太子の詔において初めて皇嗣を冊定するのを本則とした。ただ立太子の儀はときに省略された例も少なくなく,ことに室町時代から江戸初期にかけて中絶したが,霊元天皇がこれを再興するに当たり,立太子に先立ち朝仁親王(東山天皇)を儲君(ちよくん)に治定したのが例となって,明治の嘉仁親王(大正天皇)の立太子に至るまで,儲君治定が実質的な皇嗣冊立を意味した。…

【皇太子】より

…たんに太子ともいい,〈ひつぎのみこ〉〈もうけのきみ〉,東宮,春宮,儲君(ちよくん)ともいう。皇太子は,天皇在位中に,皇子,皇孫,皇兄弟またはその他の皇親のうちから定められ,立太子の儀が行われるのが恒例である。立太子の儀式がはじめて知られるのは,《貞観儀式》の立皇太子儀である。…

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