皇太子に冊立することをいい,皇嗣が皇子であっても皇孫,皇兄弟あるいはその他の皇親であっても,皇太子と称した。《貞観儀式》に〈立皇太子儀〉があり,それによると立太子の儀は紫宸殿の前庭において親王以下百官参列のもとに行われ,宣命大夫が立太子の宣命を宣する。この宣命の儀は立太子の儀の中心として長く踏襲された。904年(延喜4)醍醐天皇の皇子保明親王の立太子のときから〈壺切の剣〉を授けるのが例となった。立太子の儀は後小松天皇から後西天皇に至る300年間中絶したが,霊元天皇1683年(天和3)の再興のときから,立太子の儀に先立ち儲君治定(ちよくんじじよう)の行われるのが例となった。1889年の皇室典範の制定により皇位継承の順位が定められると,立太子は旧制のごとく皇嗣を定めるものではなく,すでに皇太子または皇太孫たる地位にあることを天下に宣示する儀礼となった。
執筆者:柳 雄太郎
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天皇がただ1人の皇位継承予定者としての皇太子を決定すること,またその儀式。皇太子制度は律令制定にともなって整備された。奈良時代前半までは,立太子は候補者が成年に達したのち行われたため,皇太子空位の時期もあったが,後半以降は新天皇の即位後ただちに立太子が行われるようになった。同時に皇太子の地位をめぐる争いもふえ,皇太子の地位を奪う廃太子という事象も多くなった。立太子の儀は平安時代になると整備され,文武百官に対する宣命(せんみょう)の宣旨のほか,山陵への奉告,壺切剣(つぼきりのつるぎ)の相伝などが行われるようになった。
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…そして天智朝に至り,中国より継受した嫡長子相続主義にもとづく皇位継承法が定められたとも説かれている。しかし爾後の実例に徴すると,皇嗣の選定は,嫡系男子の優位を認めながらも,天皇(あるいは上皇)の勅定するところであり,明治の皇室典範制定以前は,立太子の詔において初めて皇嗣を冊定するのを本則とした。ただ立太子の儀はときに省略された例も少なくなく,ことに室町時代から江戸初期にかけて中絶したが,霊元天皇がこれを再興するに当たり,立太子に先立ち朝仁親王(東山天皇)を儲君(ちよくん)に治定したのが例となって,明治の嘉仁親王(大正天皇)の立太子に至るまで,儲君治定が実質的な皇嗣冊立を意味した。…
…たんに太子ともいい,〈ひつぎのみこ〉〈もうけのきみ〉,東宮,春宮,儲君(ちよくん)ともいう。皇太子は,天皇在位中に,皇子,皇孫,皇兄弟またはその他の皇親のうちから定められ,立太子の儀が行われるのが恒例である。立太子の儀式がはじめて知られるのは,《貞観儀式》の立皇太子儀である。…
※「立太子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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